職場の敷地内、一番奥にあった工場が取り壊されることになった。
四日市コンビナートの創設時に作られた古い建物で、補修と改築を繰り返して使い続けてきた。
ここ数年は出番も無く、大きな廃棄物や工事車両が放置されているだけの物置小屋になっていた。
別の用事で通りかかった時、丁度、床材を剥がすところだった。
入っても良い、との事だったので、床下(と言っても高さ2メートルはある)に潜り込んでみた。
今の工場ではあまり見られない、太い木材とコンクリートをふんだんに使った設計で、壊すのには物凄いコストがかかるらしい。
確かに頑丈そうだった。
建物の真ん中辺りに、大きな溝があった。今で言うところの共同溝のような役割をしていたのだと思う。
赤い煉瓦製で、車が走れそうなほど広い。
古いポンプやレール(昔は工場内に汽車が走っていたそうだ)が捨ててあった。
貯油タンクや消防設備もあって、かなり物々しい。
鉄の臭いがした。
工場史にも残っていない遺構なので、きちんと調べ終えてから埋めるらしい。
時々こういった“遺跡”(本当に戦争遺跡の場合もある)が見つかる。未だに慣れない。
古株の社員達は、単に“溝”とか“堀”が見つかった、と言うだけで、慣れっこになっているようだ。
今から家を出る。東京に行ってくる。
明日は雨かもしれない。