『ハンニバル・ライジング』『バベル』

昨晩は映画『ハンニバル・ライジング』を観た。
前に原作を読んでいたので、映像化できない部分をどうするのかも楽しみにしていたのだけれど、その辺がばっさりと省略されていて驚いた。
原作と違う映画って、大抵は不満が残るものだが、ずいぶん上手な切り捨て方をしてあったと思う。
脚本が原作者だった(最後に気付いた)のが成功の秘訣だったのかもしれない。
でも、映画だけ観ている大半の人、それに『羊たちの沈黙』を忘れている人にとっては、少し説明不足だと思う。
映画とは関係無いが、同じ列に座っていたおばさんが、残虐なシーンになると必ず
「いややわー」「あたしこういうの駄目なん」
と小声で話すのがとても気になって集中できなかった。
ヒソヒソ声の苦手な人だったので、本人はそのつもりでもきちんと聞こえてしまう。困ったものだ。

結局、レクター氏が生来の怪物なのか、戦争やナチスソビエト軍が彼を怪物にしたのかは判らず仕舞いだったのだが、それで良いと思う。「戦争が(もとは純真な)彼を化け物にした」というストーリーだったら、このシリーズを放り出していた。

原作の文庫は、最初にいきなり宮本武蔵の書画が載っていたりと、なかなか意表をつかせてくれたが、原作者のトマスさんは実は日本通なのかもしれない。

 

今日は『バベル』を観に行った。
フライヤーで興味を持って、ほとんど情報を仕入れずに行ったら、映画館はものすごく混んでいた。
映像事故のこともあるし、いつのまにか話題作になっていたのかもしれない。

バベルで東京、と言えば押井守監督的なものを勝手に期待してしまう。
「みんな通じ合えない」という観点からいえば、タイトルはとても合っていたと思う。
数日前に東京の(割と猥雑な)夜の街を歩いてきたので、映画で同じような風景が続いただけで気持ちが入っていく。

何でも言葉にして、話し合って、意思疎通すること。情報を集め、議論し、納得を得ること。
いつも上手くできなくて、でもとても大切で手放せない相互理解の為の手段が、この映画では容易く裏切られていく。
登場人物達のすれ違いっぷりを見るだけで辛くなってしまった。
最近、判らない事をすぐ問いただしたり聞いたりすることで、人を傷つけたり、嫌な思いをさせることが僕にはある。
映画のように切羽詰まった状況でなくても、僕達はいつも相互理解とは程遠いところにいる。
絶望するつもりは無いし、完全に判り合えるなんて考えてもいないし、その必要も無いと思うが、それにしても世界はせつない。
そんな事を考えながら映画を観ていた。

 

 

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