納豆騒動

先週だったか先々週だったか、スーパーで納豆が売り切れになっていて驚いたことがあった。昨年に納豆嫌いを克服してから、重要な食料として定期的に買っていた品目だったので気が付いたのだが、定価のものも変わった味付けのものも(いつも売れ残っている黒豆納豆も)棚から消えていたのは異様な風景だった。

次の日に会社のパートさん達からTVでダイエット食材として取り上げられた事を聞いた。少し気になったので、帰宅してからWeb上の情報を調べてみた。調べているうちに、引っかかっていた部分が明確になってくる。色々と妙な部分はあるが、主な疑問点は2つあった。

1つは、スーパーで空の棚を見た際に気になっていたことだ。確か昨年だったと思う、大豆由来のフラボノイドの一種(イソフラボン?)の過剰摂取が問題になった時があった筈だ。摂取量によっては環境ホルモンと言ってよい程の影響がある、という報道がなされたのを覚えている。僕が覚えているくらいだから、健康に気を配っている人達ならば知っていておかしくない情報だと思う。

もう1つは“納豆が減量に役立つ”という理論について。大豆というのはとても栄養豊富な食品だ。製油原料や蛋白源として優れている食品が、どうしたら“ダイエット食品”になるのかが興味があった。醗酵の過程で何かが起きて、“原料に役立つ食品”に変化しているとしたらとても興味深い。栄養豊富なのに痩せられる食材があったら、それは現代人にとって夢の食材だ。残念ながら(成分表等を見比べてみても)特別な変化は起きていないようだったし、人間が連続摂取して良い効果があるわけでも無さそうだった。

この件について、昨日改めて調べてみたら、ほとんど同じことを述べているブログがあった。

http://www.cs.kyoto-wu.ac.jp/~konami/diary/?date=20070115

判りやすく論点が整理してある。よくよく読んでみると、mixiのコミュニティでも見かけたことのある大学の先生のブログだった。うんうんと頷きながら読んで、RSSリーダーに登録した。

 

 

例えば、“納豆で痩せる”という事実を信じた場合、「それでは納豆の脂質は?」とか、「イソフラボンの過剰摂取問題はどうなってるのか」とか、様々な関連情報との折り合いが必要になってくる。別に科学に限ったことではなくて、大抵の現実的な問題というのはそういうものだと思っている。フィクションをフィクションとして楽しむ場合(占い等)ですら、その世界の原則が存在するのが普通だろう。そういう辻褄を気にしないのはただの“ご都合主義”だと思うし、大抵のご都合主義はつまらない。何でも信じてしまう人達というのは、そういう事が気にならないのだろうか。

 

そんな事を考えていた時に気が付いたのだけれど、昔に比べてこの種の似非科学のやり方が単純になってきたように感じる。紅茶キノコ(実物は見たことがない)とか磁気ネックレスとか、何でも良いのだけれど、昔はもっとオカルトや高等数学の風味がつけられていた気がする。最近は直球というか、日常感覚や経験則を補強する為にちょっと科学用語を付けてみただけ、しかもその用語も何処かで聞いたことのある平易な言葉(デジタル、右脳左脳、マイナスイオン等々)が使われていたりと、ただ口に甘いだけのような、ひねりのない手口が多い。それを入手するまでの苦労も、だんだん安直になっていると思う。納豆ダイエットなど、その極致だと思う。

科学技術が身近になったせいかもしれないし、世界が複雑すぎてブラックボックス化している事に慣れてしまったのかもしれない。

 

 

仕事の後パートさんの家に寄って、冷凍された納豆(6パック)を譲ってもらった。大量買いをしたのだけれど、怖くなった(そして飽きた)らしい。随分説得したのだが、食べる気にならない、との事。

不要ならば、と貰ってきたのだけれど、保管する場所が無い。“ブームの品を買い占める人”というのを初めて見て少し驚いたのだが、その事は黙っていた。

t_ka:diaryは、Amazon.co.jpを宣伝しリンクすることによってサイトが紹介料を獲得できる手段を提供することを目的に設定されたアフィリエイトプログラムである、Amazonアソシエイト・プログラムの参加者です。