さようならの儀式

母の葬儀が終わった。
トラブルもなく、自分や家族や、そしておそらくは母の目論見を十分に満足させる内容だったと自画自賛している。

母は入院する前から、自分のこれからの事を多く書き残していたのだ。そこには葬儀に使う写真なども指定されていた。

葬儀会社の人達も、とてもよく働いてくれた。
この人達に任せたら何の心配もいらない。そう思える仕事っぷり。

天気に関しては運が良かった。
葬儀が終わり、皆が帰り、自宅に荷物や花を搬入しはじめた頃から雨が降り始めた。
数十分の遅れで、写真や花や親戚がびしょ濡れになるところだった。

とにかく、これで一区切り。
まだ廊下も部屋も、各種書類もごちゃごちゃだけれど、とにかくおしまい。
肉体的な疲労度は程々だが、でも今日は早く寝ようと思う。

外は大雨。窓を少し開けてみたら、数メートル先が見えないくらいの豪雨になっている。これから、夜に大雨が降るたびに、しばらくは葬式のことを思い出しそうだ。

葬儀は基本、無宗教。自分も今のところ無神論者。
となると、葬儀をしても何かの区切りにはならない。儀式としての葬式は尊重するし、皆が感動してくれたことは本当に嬉しい。
ただ、自分にとっての"裏付け"が欠けていることもまた確かだ。
だから、今までと同じく、毎日少しずつのお別れをしていくのだと思っている。

 

さよならのかけら

さよならのかけら

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今日はお通夜

先ほどお通夜が終わった。
母が亡くなって数日。色々と準備をして、なかなか良くできた通夜になったと思う。

受付も進行も、面倒なことの8割は葬儀会場のスタッフに任せきり、新型コロナ蔓延下かつ雨模様の夜ということで参列者はほどほど、つまり平均よりは"楽な通夜"だったはずだ。母はずいぶんと事細かに指示書を残していったが、その多くは規模を抑えるための注文だった。

今は帰宅して、シャワーを浴びたところ。
座って、熱いルイボス茶を飲んだところで、どかんと疲労が来た。
まるでハードな出張の夜みたいだ。

葬儀会場からの帰路、スーパーマーケットで変なチーズを買ってしまったのだが、今はもう食べる気がしない。こういう高揚も、出張の疲労っぽい。

 

 

ともあれ、今日はもう寝る。
明日は少しだけ早く起きなければならないので。

おやすみなさい。

 

お題「ささやかな幸せ」

 

チクワと紅茶

今朝からいきなり涼しくなった。
夜の散歩は続けているが、暑くもなく寒くもない夜に出かけても、衝動的にアイスを買うようなことはない。スーパーマーケットでは明日のヨーグルトとレタスだけを買うことになる。月は暗いが、散策していて気持ちが良い夜だった。

そんな夜でも、ちょっとした何かを口にしたい気分にはなる。
明日からの通夜や葬儀*1に関する準備や手続きで、心身が疲れているのだ。

既に紅茶は淹れた。
しかし、お菓子が無い。先に書いたように、アイスも無い。

仕方がないからチクワを切った。
賞味期限が今日までのチクワが、手つかずで残っていたのだった。
明日からは自炊の機会も減るし、副菜に使っても2人暮らしだとなかなか減らない。
食べてしまったほうが良い食材だ。

試してみるとわかるが、チクワと紅茶は、全く合わない。
想像以上だった。
チクワは生臭く、紅茶は渋い。

でもチクワそのものは、とてもおいしい。
甘くて塩辛くて、たぶんタンパク質も多い。たっぷりの水と共に砂漠を歩くときには、良い行動食になるだろう。
しかし、正山小種という松脂くさい紅茶とは、別に楽しむべきだ。
これならば、レタスをおやつにしたほうが良かった。

 

 

そんな水曜日。
明日は通夜。もう、やるべき準備の95%は完了した。でもなんとなく、そわそわしている。仕方がないから、寝ることにする。

 

 

*1:家族が亡くなったばかりなのだ。

今日のおやつは北海最中

母が亡くなり数日が経つ。
葬儀の準備や諸手続きは順調。書けば長いが、書いても面白くないので割愛する。

となると、書くべきことが見つからない。
仕方がないから、今日のおやつを紹介する。

 

今日のおやつは、北海道銘菓の「北海最中」だった。
知人から貰ったもの。土産ではなくて、物産展か何かで買ったもののようだ。

包装には「札幌 新倉屋」とある。
鯛を模した最中が2匹(2個)、対になって入っていて、包装には右に「ごまあん」左に「つぶあん」の表示がある。透明なフィルム包装に複数のお菓子が入って、このように外側に種類が書かれている形式は初めて見た。

といっても、つぶあんもごまあんも、それほど大きな違いはない。
ごまの風味は穏やかで、小豆の粒は控えめ。

どちらかといえば、強い甘味が特徴といえる。黒糖などの風味によるものではなくて、砂糖をたっぷり使った甘さ。最近のお菓子としては珍しい。
とはいえ、これくらいにくっきりと甘いお菓子は、濃い味の飲み物に合わせると本当においしい。コーヒーと交互に楽しんでいると、良いものを食べているのだとわかってくる。

それが今日のおやつ、北海最中。
なぜ鯛の形をしているのかは知らない。調べもしない。
良い最中だったので、次は自分で探し出して買ってみたい。

 

お題「ささやかな幸せ」

おとむらいのはじまり

家族の納棺で葬儀会場へ行く。
基本的に無宗教ではあるが、"安置室"は仏教的な設えがしてある。
数日後の通夜・葬儀でもお坊さんが来てお経を上げてくれることになっている。これは宗教的要素をゼロにすると儀式として間が持たないから。身も蓋もない理由で選んだ"オプション"だ。
葬式の経験が少ない孫達(僕にとっての甥や姪)に、一応の"伝統"を体験させたいという狙いもある。

つまるところ、葬式仏教に変わる儀式の形を確立できていないまま葬儀に挑むことになったので、完全な無宗教にはできなかったわけだ。

とはいえ、納棺より前にお坊さんはお経をあげてくれていたようで、納棺は自分達が葬儀会社スタッフの手伝いのもと行った。時間にして10分程度。

数日後の通夜や葬儀についての準備、そして近所や親戚への周知が今日のミッション。

我が家はそれほど地元と縁のある家ではない。それでも回覧板で通知を見た人の訪問が、夕方から夜にかけて数回あった。
この人達は通知を読まないのか…と驚いたのだが、相手も急な知らせで驚いたのだろう。亡くなった家族を慕ってくれているわけで、どんな形であれありがたい。

葬儀といえば、夕方にはエリザベス二世のそれをテレビで見た。
とても立派な葬儀なのは当たり前だが、世界を代表する王室にしては地味な気もする。アジア諸国、もっというと日本で同じような葬儀をするのなら、全てがぴかぴかで新品で、広くて、所作から立ち位置までがちがちに固めるだろう。高校野球の開会式のほうが、びしっと整列できている。
そういった、失敗したら担当者の首が飛びそうな緊張感は、ウエストミンスター寺院には感じられない。
でも、きちんと権勢を示し、伝統と弔意を丁寧に伝える、立派な宗教儀式であり国家行事だった。参列者の全員が、この歴史的な行事の当事者として振る舞うべく意識している雰囲気があった。

家事や食事の合間に見ただけでも興味深く楽しめた。後日、きちんと解説付きで鑑賞できたらいいのに。「これは何の意味があるのだろう」「この人は、どういった役割なのだろう」といった気になる部分が連続していたので。

ともあれ、イギリスは面白い国だ。
いつか旅行してみたい国のひとつ。いつになるのかはわからないけれど、食べたいものも、行きたい場所も、たくさんある。

 

 

おとむらいのじゅんび

身体は使っていない。
頭だってほとんど使わない。説明を受けて答えるだけ。悩むようなこともない。

だけど疲れた。
なるほど、これが葬儀社との打ち合わせか。
今日は、親の葬式について具体的な打ち合わせをしてきたのだった。

 

なんとなく、結婚式の打ち合わせに似ていた。
スタッフの言葉使いが必要以上に丁寧で、カタログは多いが全てが必要なわけでなく、何を決めるのかすら、こちらはきちんと把握していない。

僕は結婚の経験は無いけれども、女友達に頼まれてブライダルフェアに行ったことがあるのだ。しかも人生で2回も。ケーキの試食があると聞いていたのだがケーキは見るだけだったこと、見るだけならば男性の衣装よりも女性のドレスのほうが楽しかったことを覚えている。

 

ともあれ、故人の要望と、新型コロナ蔓延下という状況を考えて、かなり簡素な式となるはずだ。
ケーキの試食は無かった。というか、葬式では"甘いもの"の出番が無いようだ。残念なことだ。

 

 

 

長い闘病生活と看護の後ということもあり、深い悲しみに囚われるようなことはない。
だから今日の打ち合わせも、興味深く楽しむことができた。
普段ほとんど接点の無い仕事を覗き見る、社会見学的な楽しみがある。

 

 

それはそうと、先ほどから強い雨がふりはじめた。
今日は九州が大変なことになっている。台湾の地震も心配だ。

荷物(病院・介護施設から引き上げてきた品々)の片付けや、溜まっている読書やネットサーフィンをしても良いのだが、こういう日こそ寝るに限る。
たぶん疲れているのは脳だから。肩こりも酷いが、気にしなければならないのは脳。その次が心で、肩まで面倒を見る余裕はない。
というわけで寝ます。
おやすみなさい。

お題「わたしの癒やし」

今日は日記をおやすみします

今朝、母が息を引き取った。
もう入院やら何やらで大変な時期が続いていたせいもあって、今になって落ち込むことも、悲しむこともない。

それに今日は、家族として葬儀の打ち合わせや手続きに忙しい。
いや、休日だから出来ないことも多くて、今などは暇な時間を持て余している。とりあえず疲れてはいるから、自宅で静かに過ごすしかない。

とにかく、そんなわけでブログに日記を綴っている場合ではないから、今日は日記をおやすみします。

 

ケーキの切れ端

昨日に訪問した浜松市の卸本町は、問屋街。
服の問屋が多かったが、小さな食品工場や輸入業者もいくつかある。

 

そのなかにはアウトレット品の販売を行っているところもあって、なかなかお得な買い物ができるのだった。

端切れ布や、展示品らしきインテリア用品、梱包の端材など、いくら安くても自分には使い途が無いものがほとんど。でも「玉子屋本舗」という店では、洋菓子が安かった。

狭くて、ほぼ一方通行の小屋みたいな店舗は、ケーキ工場に隣接している。
お店の人は挨拶も無かったし、棚に並ぶ商品も綺麗に見せようとはしていない。

2020年代の日本における「アウトレット・ショップ」といえば、何かしらの楽しさとコスパ感があるのが当たり前。だが、この玉子屋本舗に限らず、卸本町にあるアウトレットは、そういう楽しさの要素が皆無なのだ。

商品も本当に廃棄品のようなものがある。
ケーキやシフォンケーキの切れ端は、ただビニール袋に放り込んで封をしてあるだけ。食品衛生法があるからラベルは付けているけれども、飾りっ気なんて皆無だった。

ただし安い。どの品も110円でたっぷり入っている。
パンの耳みたいな感覚で、ケーキの上面部分や、端の部分を買える。
僕もつい、2袋ほど買ってしまった。

 

 

切れ端の一部は、昨日に食べた。
残りの多くは冷凍した。冷凍しなかった分は、今日のおやつにした。

味は悪くないが、端の焦げた部分だけを延々に食べるわけだから、なんとなく苦いし単調。小さく切ってラスクにでもすればよかった。時間があればトライフルでも作ればよかったのだが、手を抜いてむしゃむしゃ食べたのが失敗だったのかもしれない。

 

 

こういう時のために、小さなクーラーボックスを車に常備している。
氷は無いから、帰路に冷たい飲み物を買う。浜松市から自宅なら、ペットボトルの温度でもなんとか保つ。暑い日や長距離ならば、冷凍した500mLのペットボトルか氷が必要になるが、昨日は大丈夫だった。

 

 

 

ところで今、左手の内側に蕁麻疹のようなものが出来ている。
ケーキの切れ端が原因かどうかは、わからない。食べてから時間は経っているし、鶏卵や、悪くなった洋生菓子ならば、もっと酷いことになっていそう。
そもそも今日は、とても疲れたのだ。体力が落ちているときには、こういう不具合も出てくるものだ。それに夕食には、親戚が釣ってきた川魚(鮎)を焼いて食べた。そちらのほうが怪しい気がする。
慌てず騒がず、抗ヒスタミン剤を飲んで寝ることにする。レスタミンは成分としてはドリエルにそっくりだから、睡眠薬代わりにもなってしまうのだった。

お題「ささやかな幸せ」

 

浜松 卸本町 ペルー料理店「ロボデマル」

所用のため、浜松市の卸本町へ行ってきた。
ここはなかなか興味深い町。一言でいうなら問屋街なのだが、その景観が独特なのだ。
少なくとも静岡県では他で見たことがない。

古くて低層のビルは商店街のように道路沿いに連なっている。
建物は高くて3階建てだが、横に長い。そして道は広い。

ぱっと見た限り、服や服飾雑貨の問屋が多いようだ。
空きテナントを利用して新しい店もできている。デザイン事務所やカフェ、自転車屋、イベントスペースなどがあるが、平日ということでぱっとしない。元は問屋街だったけれど今は再開発も進んで新しい町として賑わう…みたいな浮かれた感じはなくて、今も9割は現役稼働中の卸問屋の町なのだ。

建物は実に昭和っぽい。
タイルやブロックガラスで装飾されている。コンクリートでの細工も多い。こういう凝り方は、今のビルには望めない。東京や大阪のレトロビルほど古くはないし豪華でもないが、すでに”産業遺産”じみた雰囲気の建物もある。

 

特に町の中央にある協同組合のビル「アルラ」と、隣接するビジネスホテルはすごい。
「アルラ」は、打ちっぱなしのコンクリートで外装を覆ったビルだが、必要以上に段差や通路が多いあたり、自分が子供の頃の"ナウい感じ"がすごいのだ。
今は完全に古びていて、最盛期に目指したモダンな雰囲気とは違う良さがある。
天井は低いし、あちこち錆びて壊れているのだが、きちんとコストをかけて作られた時代の建物といった感じがして好きだ。

用事を済ませたあとに散策したのだが、本当に静岡県らしくない風景だった。
大阪や名古屋になら、ありそう。もう少し狭苦しければ沖縄っぽいかもしれない。
自分は香川県の「坂出人工土地」を思い出した。

町は全体的に静かだ。
事務所と在庫置き場を兼ねた問屋街というスタイルが廃れてしまったのだろう。今は流通センターや外注の倉庫が主流だ。
でもゴーストタウンというわけではなく、道も建物も丁寧に使われているように見えた。
アウトレット的な小売をしている店もあるし、上に書いたように若い人達の新しい店もあるけれど、現役の「プロの町」だから、散策も探検も節度は必要。今日は、大きなカメラを抱えたサブカル風味のおっさんが、勝手に建物に入って怒られていた。当然だと思う。

 

 

そんな卸本町を散策していて見つけたのがペルー料理店。
店名の「ロボデマル」は、かつて南米旅行中に何度も見かけた名前。スペイン語で「海の狼」、要はアシカ・アザラシ類のことを指す*1。レストランの名前としてポピュラーなのだろうか。ちなみにガラパゴス諸島で泊まったホテルが「ホテル ロボ デ マール」だった。

 

 

初めて入る店だが、店員さんはとても親切で、メニューもわかりやすかった。
おすすめされた「ロモ・サルタード」のランチセットを注文した。

炒ったトウモロコシ、チチャモラーダ(紫トウモロコシのジュース)、サラダ、ごはん、そしてロモ・サルタード、最後に焼きプリン。

チチャモラーダは好物。南米系のお店にあれば第一選択の飲み物だ。

ロモ・サルタードは、紫タマネギ、牛の赤身肉、じゃがいも、トマトなどを炒め合わせたもの。味付けは醤油やオイスターソースを感じる。ペルー料理といえばこれが定番で、確かにおいしい。

ご飯*2と合わせて食べるせいか、すきやき味っぽく感じる。何かのスパイスとトマトの酸味が異国料理だと伝えてくるが、とても馴染みのある味だ。
そういえば漫画「孤独のグルメ」の2巻でも、この料理が「馴染みのある味」と紹介されていた。

デザートのプリンは、しっかりと甘い。食後だから控えめ…みたいな日本式の遠慮が無いのが嬉しい。コーヒーを飲みたくなってしまったが、手元には水とチチャモラーダしかないのが残念。

このペルー料理は完全に想定外だった。
かばんには、昼食に食べるつもりの「ブランサンド」と野菜ジュースが入っていた。紅茶も魔法瓶に入れてきた。そういうものを取りやめにして衝動的に入ったお店がおいしかったのだから、今日はそれだけで幸せである。

また近いうちに、この卸本町には再訪することになる。
いつも近くを通って気になっていたのだが、車を停めて歩いてみたら面白かった。
近くには砂丘や公園もあるから、余裕があったらサイクリングもしてみたい。

 

お題「わたしの癒やし」

*1:エクアドル本土やガラパゴス諸島では、アシカの絵のこともあればアザラシのこともあり一定しなかった。英語でSea Wolfといえば、オオカミウオを指すようだ。

*2:少なめにしてもらった。

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