玄米茶のルリジューズ

久しぶりの、雨の心配が無い日曜日。
布製のかばん、厚い布地のズボンなどをまとめて洗った。

かばんは、めったに使わないものを古いスーツケースに詰めて、倉庫に放り込んであったもの。なんとなく埃っぽいというか黴臭いというか、古いものの匂いがしていた。
酸素系漂白剤と日光と風の力で、ようやく元通りになった。

他にも、家事や炊事に関する消耗品を買ったり、夏野菜の畑に手を入れたりした。
ここしばらくの平日は家族の入院にかかりきりになっていたため、家の中も、そして気分も、今日一日でずいぶんと"さっぱり"できた休日になった。

 

 

午後にはお茶を飲む時間と、心の余裕もも確保できた。
藤枝市にあるお気に入りのパティスリーである「ボクゥボクゥ」に行き、コーヒーと「玄米茶のルリジューズ」を堪能してきた。

和の素材なのに当然ながらきちんとフランス菓子。でも、この店では最も和風で、和菓子のように思えることもある。
味も好きだが、見た目が最高なので、何度も注文しているのに、つい選んでしまう。迷ったら新作が基本戦術な自分としては珍しいことだ。

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そんな日曜日。
明日はまた、どたばたするだろう。少しは体力気力も回復できたから、どんとこいである。

 

 

 

家の文化、について

昨日まで大変だったので、今日は意識して何もしない日。
とはいえ、書類を届けに病院へ行ったり、その際に通り雨に遭ったり、買い物をしたりと、それなりに忙しい休日ではあった。

夕食を済ませた頃に、兄と彼の子供たちが遊びに来た。
ここ数日の僕や父を労いに、顔を出してくれたのだ。

手にはファストフード店の"お持ち帰り"の食事を下げている*1
これも、父や僕に料理や洗い物をさせない気配りなのだろう。

帰りに、その食べ終えたあとのゴミを袋にまとめて持ち帰ろうとしていた。家で引き取ると伝えたら「それじゃあ」と渡してくれたのだが、割り箸もプラ容器も全て一つの袋に入っていた。
元来、我が家の"文化"では、このような行為は許されない。ゴミは何であれ分別し、洗い、乾燥してから、しかるべき処分を行う。
だから今日は、兄たちが帰ってから、僕が袋の中身を分別し、洗ったのだった。

別に面倒ではない。お茶など他にも洗い物はあるし、せいぜい5分の台所仕事だ。
ただ一つ、強く感じたのが「もう別の家なのだなあ」という感慨。

いま母が入院していて、父と僕と2人で生活を営んでいる。
一人暮らしのような"自分専用カスタマイズ"な家事ができず、毎日それなりに、実家の"文化"を実感しているのだった。

それは、母と父が今まで作ってきた暮らしのルール。
正直なところ不合理なことも多いし、自分が「主担当」になるにあたり手を入れている部分もあるが、それでもやはり、僕が子供の頃から慣れ親しんできた常識を、今は手を動かしつつ再認識しているのだった。

だから兄のちょっとした違いが、なんとも言えない感慨を呼び起こしたわけだ。入院している母だったら小言を言っていただろうなあ、とも思いながら。
そして、兄は家を出て、僕は家に戻ったのだなあ、と。
良くも悪くもなく、本当に純粋な感慨として。

まあ、違っていて当然ではある。兄が結婚して家を出てからずいぶん経つ。それでも「えっ」と思ってしまったのは、母が入院して「家」を意識しがちな今だからかもしれない。
でも、兄は子供の頃から"ひとつの袋にゴミをまとめて気にしない人間"だったような気もしてきた。家の文化とはいうが、完全に守られていたわけではないのだった。

 

 

そういえば昨日も今日も、甘いものを食べていない。
心身ともに疲れた数日間だったが、ストレス解消に素敵なおやつを食べるのはもったいない気がするのだ。でも1日でずいぶん回復したから、たぶん明日には贅沢をしたいところ。

 

 

*1:牛丼だった。

晩ごはんはラーメンで済ませる

昨日から家族の一時帰宅で、そりゃあもう大変だった。
今日は病院に帰すわけだが、ちょっとここには書けないくらいに辛かった。
世の中には様々な苦労があるが、今日のそれは人生で初の質と、人生でも五指に入る量の、特別な苦労。ここ数年で久しぶりの、胃がキリキリ痛む感覚が蘇った*1

もちろん、一緒に対応した父も同じだ。
というか父のほうが辛かったはずだ。

でも具体的なことは書かない。書けない。書くつもりもない。

ただ、全てを終えて、帰宅する前には二人ともふらふらで、家で夕食を作る元気なんて無かった。まだ17時を少し回った時刻だったが、目についたラーメン屋に入り、たまにはいいよねと安直なラーメンを食べて済ませた。

こういう外食は、我が家の「文化」には無かった。
いろんなことが変わっていくなあ…とネギラーメンを食べていたら、父が「自分たちには珍しい選択だなあ」という意味のことを言っていて驚いた。そういう、ちょっと俯瞰した目で家族や生活習慣を語る人では無かったので。

そんな、我が家としても特別な日。
病院に戻った母が、どうか心安らかに過ごせていればと願う。1泊とはいえ自宅に帰ることができて、いくつか楽しいこともあったのだから。ただし、やはり自宅で暮らせる体調ではないし、僕たちの看護・介護能力にも限りはあるし、さらには本人がそれを認識できない状況は、本当に辛い。
いずれ来る日だとは覚悟していたし*2、自分が一人暮らしをやめて実家に戻ったのも、今日のような日のためなのだが、それでも。

いくつか今後のことについて決めなければならない状況ではあるし、持ち帰った書類もある。離れて暮らす親族に伝えることもある。
ただ今日はもう疲れた。なので父と二人、「もう何もしない」と宣言して、さっさとシャワーを浴びて、あとは寝るだけである。

 

 

*1:心療内科に通っていた時ならば、迷わず頓服薬を飲んで、心の動きをマイルドにしていただろう。

*2:

数年前に読んだこの本が、とても役に立っている。状況はずいぶん違うが、老いた親の面倒を見ることになった苦労について、心構えができていたことは本当に助かっている。僕にとっての"実用書"だ。

 

中年を過ぎた独身の人達には「とりあえず読んでみて」と勧められる本だ。

今からお迎え

午後には入院中の母を迎えに行く。
予定通り、一時帰宅をするのだ。

出来得る限りの準備は済ませた。
だけどなんだか気持ちが落ち着かない。初めての職場に顔を出すときに似た、しかしその何倍も緊張している。
いや、元気いっぱいの痴呆老人を迎えるわけではないのだ。母は元気の無い老人なのだ。たぶん大丈夫だ。

でも母は、いくつかの難病を抱えている。薬でなんとか抑えているだけの状態だ。
さらに脳に損傷もあって、長く考えることも、自分の意思をきちんと伝えることも、僕たちの識別も(たぶん)できない。
そういう人間を1泊だけでも介護・看護することが正直なところ怖いのだ。

ただし、この一時帰宅は、今後の母の生活のテストともなっている。
僕や父がどこまで出来るのかを考え、施設に入るなり、自宅介護を行うなり、次の一手を考えることになる。

強くあらねばなあ、と思う。
なので備蓄おやつ箱から、ビスコを出してきた。
まだ食べていない。おやつの時間ではないので。

 

 

今から早めの昼食を摂って、その後は病院へ行く。
あまりに緊張して、午前中だというのにブログを書いてしまった。
深呼吸しなければ。

 

 

お題「大好きなおやつ」

一時帰宅の準備

 

先月より入院している家族(母)の帰宅準備をした。
いわゆる一時帰宅という制度で、入院は続けるが数日だけ自宅に戻るというもの。
体調も考えて、今回は明日からの1泊を計画している。

「帰りたい」という母の要望を汲んでの帰宅ではあるが、他にもいくつか理由がある。
彼女の体調・病状からして今がチャンスである、という医学的な見地からの決断。
そしてベッド数に余裕が無い*1ため、早く"次"のアクションに移りたいという病院の思惑もある。

医師は簡単に「なんとでもなる。今すぐ帰宅だ」という。
数日だけでも受け入れ準備を…と訴えたところ、強く叱責されてしまった。
でも我が家には母のためのベッドもないのだ。
以前使っていたものは介護用品で、もう返却してしまっていた。

そういうものの手配も含め、何の準備も無いまま、薬の副作用に苦しみ、自分ひとりでは歩けず、なにより家族の識別も意思の疎通もほとんどできない状態となった老人を受け入れるのは、それはそれで辛い。
でも医師は「ベッドなんて無くても客用布団を重ねればいい。何かあったら救急車を呼べ。そもそも、そんなに簡単には死なない。そうやって準備だ何だと言いわけをして『もう病院に居たくない』という肉親の言葉を無視するのか!」と怒るのだった。

もしも余命数日なら、僕も父も無理もするだろう。
しかし、状況はそこまで逼迫していない。

となれば、ただ「帰宅したい」という病人の言葉だけで即日の帰宅or退院を強行できないことも、家族としての想いではある。素人の怠惰と言われそうだが、身体の不自由な肉親を世話するにあたり、どうしても慎重になってしまう事情も汲んでほしいものだ。そして、自宅に迎え入れるのならば、多少なりとも快適に過ごしてもらいたいという願いも理解してほしい。ただ短い思考しかできなくなって「もう帰りたい」と言い続ける母の言葉の、数分の1でもいいので。

 

結局、今日という1日の準備期間を貰って、一時帰宅は明日になった。
介護に関わる人達(ソーシャルワーカー・ケアマネージャー)と打ち合わせをし、介護用品レンタル会社にベッドを手配し、必要な品々について病院でレクチャーを受けてきた。
明日と明後日は、母の看護・介護にかかりきりになる。そのため自分たちの生活についても、できる限りの準備をしている。母も僕たちも食べられるようなお惣菜を作り置きしたり、冷蔵庫の中身を補充したりと、これもなかなか忙しい。

なにしろ初めての事だから、とても緊張している。
考えられる限りの想定はしているが、なにしろ病棟に立ち入ることさえできなかったのだ*2。入院中の状態については、看護師の言葉でしか知らない。
そんなわけで、今の段階で既に妙な疲れ方をしている。

なので今日はもう寝ます。おやすみなさい。

 

お題「リラックス法」

*1:驚くほど無いのだ。だから少しマシになった患者は自宅や介護施設に移したいそうだ。

*2:新型コロナ感染防止のため面会謝絶だった。

梅を煮る会

毎年、この季節になると青梅を煮ることにしている。
ごく単純なシロップ煮。翡翠煮や甘露煮とも呼ばれるものだ。

昨年までは、店で売っている梅を使っていた。
梅干し用の品が売れ残り、黄色くなった頃が狙い目*1。緑色の頃にゆっくり火を通し、銅イオン(銅鍋や銅板で補充)で色止めを行えば見た目は良くなるが、色づいた梅のほうが味は良いし香りも強くて好きだ。

今年は実家暮らしということで、庭で採れた梅を使う。
数も少ないし、サイズも揃っていない。傷のある実も少なくない。
果樹として育てていないから仕方がない。梅干しや梅酒にするほどの量は無いし、少量とはいえ捨てるのも惜しいから、これを使うことにしたのだ。

ところが庭の梅は酸っぱい。それに渋い。
2回ほど茹でこぼしたのだが、スモモの類の皮を思わせる強い味が口に残る。
3回目でシロップ*2を使い、今夜はそのまま真空断熱調理鍋でゆっくりと煮含めていく。

かなりの部分、皮が破れてしまった。
最悪の場合、梅ジャムあるいは梅ピューレになるだろう。

大きな密閉容器にたくさん作って、初夏から夏の初めまで食べ続けた一人暮らし時代が懐かしい。あれはなかなか、良い備蓄おやつだった。

 

お題「ささやかな幸せ」

*1:思えば四国のスーパーマーケットは、梅をたくさん売っていた。そしてたくさん売れ残っていた。

*2:黒糖と水と、隠し味にラム。

無料の甘食

家族の入院に関係して病院へ。
そのまま近くのコワーキングスペースで作業をしている。他に、落ち着いて時間を潰せる場所が無いのだ。
僕はノートパソコンを持ち込んだが、スマホだけで仕事をしている人もちらほら。コーヒー1杯の値段で長時間座れて、席にいる限りはマスクも外せる。そういう場所は、なかなか無いのだった。

しかも今日は故あって無料で利用できている。
公園だってビルの屋上だって無料スペースではあるが、コーヒーやお茶が飲めるわけではない。誰も食べないが、ゼリービーンズも置いてあった*1

先ほど「無料おやつサービス」の案内があった。
「脳に糖分」とか色々言っていたが、そこまで急いで血糖を上げる必要は無いと思う。
でもおやつが欲しい時間帯だったので、1個貰ってみた。

今日のおやつは、甘食
館内放送では「かんしょく」と読んでいたが、僕にとっては「あましょく」である。正解は知らないし、調べるつもりもない。

ごく普通の甘食だった。とはいえ、目をみはるほどおいしい甘食なんて存在しないだろうし、変なアレンジがされていたら嫌だ。素朴で、とびきりおいしいわけではなく、嬉しさも楽しさも程々のおやつ、そういう立ち位置で良いと思う。
非日常の甘食なんて、僕は求めていない。

あと少ししたら、このスペースを後にする。
家族の入院について、医師から説明があるのだった。ああ、肩がこる。

 

お題「わたしの仕事場」

*1:僕は食べた。甘くておいしい。

三重県の菰野町

かつて三重県四日市市に住んでいたことがある。
今でも友人知人が多い土地だ。
特に、菰野町のカフェ「Snug」はお気に入りで、西日本に向かうときには必ず立ち寄りたい場所だ。

というわけで、一昨日に岐阜の養老天命反転地に行った後は、わざわざ三重県まで足を伸ばしたのだった。

といっても1時間と少しのドライブ。Google Mapの案内は細い道ばかり案内するけれど、有料道路も使わずのんびり走っても、意外と近いのだった。

 

菰野町に着いてからは、友人の家(店)にお邪魔して長居をしたり、美術館(パラミタミュージアム)で迷路絵本の企画展を見たり、そしてもちろんSnugでランチを食べたりもした。

Snugを訪れるのは本当に久しぶりだった。
新型コロナが落ち着いたら…と言いながら2年以上はご無沙汰だったのだ。
久しぶりに行ってみたら、店内が改装されていた。

レイアウトは変わったが、店の雰囲気は前と変わらない。とびきりかわいい、大好きなお店のままだった。

いいなあ、素敵だなあと(心の中で)つぶやきながら、すっかりリラックスしたのだった。ああ、こういう場所に僕は居るべきだったのだ…とさえ思ったのだから相当である。

でも本当に嬉しい再訪だった。自分の行為に"嬉しい"は妙な表現だが、でも嬉しくなったのだ。
三重県に行く人は、どうか立ち寄ってみてください。良いお店です。

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帰る前には四日市市も散策した。
ずいぶんと寂れてしまったように思えるのは、僕が記憶する四日市の街が、小商いの個人商店の印象が大きいためか。鯛焼き屋やタコ焼き屋、乾物や豆、お惣菜のお店。そういう、数百円の小売をする店が消えていた。
もちろん、四日市といえば化学コンビナート。工場群も、周囲の植栽も、なんだか手入れが荒くなってしまっているように見えてしまう。総じて"不景気な街"の雰囲気が強まっているようだ。

夜には用事があるので、少し早めに帰路についた。
帰る前にはサービスエリアで赤福氷を食べた。ずいぶんとのんびりした、予定を詰め込まない三重県訪問だった。でも満足。
もっと疫病が低調になったら、きちんと時間をかけて過ごしたい。これからも好きな土地のままだから。

 

 

 

さて今日は、地元の友人と海に行き、灯台や公園を歩いて過ごした。
いつの間にか、海に集う人達の服装が完全に夏になっていた。水着の人さえもちらほら。
確かに海沿いが気持ちの良い季節だ。先日に手術をした足は痛むが、それでも海沿いを歩くのはとても気分が良かった。

 

お題「わたしの癒やし」

岐阜「養老 天命反転地」

昨日に訪問した岐阜の養老公園、その一角にある「天命反転地」について書く。

なかなか説明しづらい施設だ。
公園サイズの巨大なアート作品(テーマパーク)なのだが、似たものを思いつかない。
とはいえ、かなり有名な場所だから概要を知っている人も多いはず。

リンク先の公式サイトが最もわかりやすい。

www.yoro-park.com

ずっと行きたかった場所だが、色々あって初めての訪問だった。

なにしろ斜面ばかりの施設で、小雨でも危険と聞いていた。この日帰り旅行を思いついた時からずっと、当日まで雨雲レーダーを見ながら、行くか否かを迷っていたくらい。

幸いなことに、昨日は曇り時々晴れといった天気。午後からは通り雨だというから、昼まで楽しむことにした。

平日かつ開場直後ということもあり、ほとんどお客さんはいない。
カメラを担いだ青年や、高齢者の夫婦、大学生らしい女性3人組は場内で見かけた。
まだお互いにぎこちなく敬語で話す若いカップルと、ゴルフウェアみたいな派手な服装の中年カップルもいた。
前者は場内で3回ほどすれ違い、そのたびに記念写真を頼まれた。にこやかに対応したが、後で考えればスマホのインカメラで距離を縮めるのが令和の若者のセオリーだと思う。
後者は建物のなかでポロシャツやTシャツを脱いて抱き合っていた。どう考えても非常識だが、ここまで非常識だと気にするのも馬鹿らしい。天命反転地を巡れば僕もそのような特殊な気分に陥るのかと危惧したが、自分の場合は特にそういうこともなかった。他の人達も同じ。ともあれ、そろそろ梅雨という季節の午前中には見たくない光景ではあった。

ともあれ、視界に人がまるでいないことも多い、基本的には独占状態だったのは幸いだった。
山の斜面に作られた坂ばかりのテーマパーク(参加型のアート作品)だから、マスクを適宜外せるのはありがたい。

迷路じみた建物が山肌に埋まり、通路も壁も全て水平垂直な場所がない。扉はだまし絵のように歪んでいる。大抵の場所は踏み入ることができるし、いかにも繋がりそうな細い通路の先が行き止まりだったりもする。

町営の公園施設なのに、安全基準より作品の設計を優先しているところも面白い。
大きな穴には柵もなく、落ちてしまった場合の登り口などリカバリー手段もない。たぶん落ちたら大怪我をして、その後に誰かを呼ぶしかない。見晴らしの良いところに警備員さんが1人いるけれども、全てが見渡せるようなつくりにはなっていない。
いかにも通れそうな溝が妙に細くて、たぶん太っている人は途中で困りそうな場所もあった。

そういったスリリングで、見たことのない風景(でも、それぞれのパーツは見慣れている)のなかを好き勝手に歩いていく。天気と、次の予定との関係で2時間足らずの滞在だったが、もっと長く楽しみたかった。

ただし疲れる。
先に書いた通り、水平な場所が全くないのだ。


通路に見える場所も斜め。しかもわかりづらく、穏やかにうねっている。そういう場所を歩くのは本当に大変。カメラやスマホ・カメラの水平儀で確認すると、身体が妙に傾いていることがわかる。

それに、一人では小休止のタイミングが掴めない。つい、延々と歩いてしまう。歩けば歩くほど、新しい光景に出会えるのだから、足が止まらないのだった。


最近は運動不足だったこともあり、ことさら辛かった。
車に戻ってから足首と膝が疲れていることに気づいた。でも、心地よい疲れでもある。



素晴らしい場所だった。
よくもまあ、こんなケッタイな場所を考案し、行政と組んで形にして、長く運用できているものだ。養老町ありがとう。荒川修作氏とマドリン・ギンズ氏ありがとう。
世界でここにしかない場所。
脳と身体がお祭りみたいにざわざわする。でも心は意外と冷静なのが面白い。
堪能できて本当に嬉しい。機会があったら、また行きたい。

 

午後に行った三重県菰野町については後日の日記に書こうと思う。
では、おやすみなさい。

 

 

 

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