知人達へ書いた手紙を出すために郵便局の窓口へ。
窓口を使ったのはスマートレターを買うためだったけれど、ついでに手紙も出してしまう。その時に、窓口の人達と、ちょっとしたやりとりがあった。
仕事の郵便物ではないから、絵葉書に貼る切手は好きなものを使う。
20代の頃から、突発的に切手シートを買うことがある。ほとんど雑貨感覚で買うから、使うよりも多く買い溜めてしまう。
買うより使うほうが少ないから、その格好良いorカワイイ切手も活躍する機会がなく死蔵することになる。
だから、手紙を書くとなったらいくつかの切手を組み合わせて貼ることになる。
昔の切手だと今の普通郵便や封筒の料金には会わないことも、複数の切手を使う理由。
絵柄と面積で吟味した切手を貼るのは、楽しい作業である。
基本的に料金よりも多く切手は使う。今の郵便料金は把握していないし、足りないよりは多すぎるほうが手間が少ない。
ところが今日の郵便窓口では、この料金で”ちょっとしたやりとり”が発生してしまった。
今日もきちんと、少し多めの切手を貼っていた。
それを窓口の人が問題視したのだった。
こんなことは初めて。郵便局にとって損は無いし、ルール違反でもないし、切手の額が合わないことは珍しくないと思うのだ。
でも窓口の人(とても迫力のあるおばさんだった。研修中らしい)は許してくれない。
僕が貼ったかわいいミッフィーの50円切手を綺麗に剥がして、ぴったりの額の切手を買えと主張する*1。
小さな額でも、カネを捨てるような扱いは駄目だ…と言うのだ。
「いえ、そのままでかまいません」と言っても、何かもごもご言っている。
どうしたものかと思案していたら、他の郵便局員が加勢してくれた。
「この差出人たる中年男性は、数十円の損を承知のうえで、『ふみの日ミッフィー切手』と『泳げたいやきくん切手』を組み合わせて貼ったのだ。全体の色をオレンジ色で調和させているのも、見栄えを意図したことである。
想像するのは難しいかもしれないけれど、切手を使うにあたり、経済性よりも可愛らしさや楽しさを優先する人種もいるのだ。この中年男性は、切手を選ぶことで、相手を喜ばせたいと考えているのだ」
と、僕の絵葉書を指差しながら説明する。もう少し別の表現だった気がするけれど、大意としてはこんな感じだった。
そして最後に「このような切手の無駄遣いをするのは、多くは女性である。でも中年男性でも恥ずかしいことではない」と言い添えてくれる。
これはなかなかつらいものがある。
軽い雑談の途中で「今の冗談のおもしろいところはね…」と解説されたような恥ずかしさがある。あるいは「この人がハンターでもないのにハンティングジャケットを着ているのは、いくつかの意図があるんだよ…」と説明されるような気持ちというか。
年に数回あるかないかの、本当に気軽な手紙だったのだ。本文は2分で書き終えて、切手の選定だって悩まなかった。
でも、ここまで大事になってしまった。まるで普段から頻繁に手紙を書く、郵便趣味の人間と、じっくり吟味してこだわり抜いた手紙みたいに思われてしまった。
とにかく2人目の郵便局員の助け舟があったので、絵葉書はきちんと受け付けてもらった。
最後まで局員は納得していないようだったのだが、僕の知ったことではない。
そもそも、100円で買った切手を10円の用途で使ったとしても、道義上の問題は無いのだ。なんとなくそのへんに貼って無駄遣いしてもかまわないはず。
切手は通貨ではない。100円で仕入れたものを10円の価値で消費しただけの話。今日の、切手の”無駄遣い”も同じだと僕は考える。
短時間のやり取りとはいえ、ずいぶんと酷い人間に思われてしまった。
正直おもしろくない。
仕方がないから、帰路はカーステレオで「ハンバート・ハンバート」の曲をランダム再生した。「わかりあえない人達がいる」と思ったときは、ハンバート・ハンバート*2に限る。
赤の他人に対して、確実にやさしい気持ちになれる。
お題「わたしの癒やし」