パウンドケーキとコーヒー

 

先々週に親戚から小麦粉をたくさん貰った。
長く保つものではあるが、意識して使っていかないと食料品庫に居座り続けてしまう。
とりあえず何回か、パウンドケーキを作っている。

繰り返すうちに、概ね「作りやすい分量」が把握できた。同じボウルを使うのならば、秤を使う必要もない。もちろん安定した出来栄えのためにはグラム単位の計量が必要なのだが、そこまでこだわらないのならば、容積(計量カップ)でも問題なく作れる。

焼き菓子の場合は、この段階に至れば、アレンジができる。
逆に言うと、レシピを見ながら注意深く作業している間は、自分自身の工夫なんて失敗の原因にしかならない。もちろん投資とギャンブルとの差ほどしか違いはないのだが、とにかく「精度」の感覚が掴めなければ、自分のアイデアなんてものは妄想と変わらないのは、ものづくりの基本である。

ちなみに今回は、卵白を減らして牛乳を足してみた。
気泡が減って、重たくしっとりとした生地になるはず。結果はそれほど劇的ではなかった。デパ地下で「しっとり」を売り物にしたパウンドケーキがあったら、こんな感じになりそう。食感だけでなく、味までチーズケーキ寄りになったのは不思議ではある。勇気を出してヨーグルトを足せば面白かったかもしれない*1

写真は無い。
冷まして寝かせて、切ってから冷蔵あるいは冷凍してしまったので。少しずつ食べていこうと思う。

小麦粉はまだあるけれど、バターも安くはないし、他のお菓子も食べたいから、しばらく続いたパウンドケーキづくりはこれでおしまい。
いつかまた再開した時は、またレシピ通りに作るところからやり直さないと、アレンジも目分量もできなくなる。記録をとらない素人製菓の弱いところである。

 

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それはそうとして、今日はまた友人と会ってきた。
マクドナルドで飲んだコーヒーの、量が多い。

苦さばかり目立つコーヒーだったが、三角チョコパイを食べ終えてから口にしたところ、まるで白湯のような、あるいは薄く淹れた個性の薄いハーブティーのような「味がしない熱い液体」になってしまった。
不思議な感覚だった。三角チョコパイには、歯磨きの後にミカンを食べるとか、マジックフルーツの後のレモンのような、何か味蕾と脳を騙す作用があるのだろうか。あっという間に消え去った「白湯効果」だが、不思議なだけで得なことがなにもない点が、再び試す気になれない要因である。

では寝ます。おやすみなさい。

 

お題「手作りしました」

*1:とはいえ、いきなり複数の素材を足すのは、地獄への第一歩である。

ラグジュアリーなミニバン

先ほど、故あって3時間ほどミニバンを運転してきた。
親戚の車を運んだだけなのだが、なかなか新鮮な体験だった。

 

 

なにしろ普段は普通のセダンに乗っている。ハイブリッド車をほんの少しスポーティーに味付けした(営業マン談)それほど大きくはない車だ。コンパクトカーほどではないにせよ、どちらかといえばキビキビと小回りが効く車。

それが今日は3列シートの、どかんと大きなトヨタの車。
屋根は高いし、車体は大きい。いや、欧米各国のミニバンに比べたらずいぶんと”ミニ”なのだが、日本の道ではかなり威圧感がある。一昔前のミニバンブームの車だから、フロントグリルもギラギラと立派である。小さな子供がいるけれど、まだまだワルなパパが乗るのが似合いそう。
はっきり言って、マツダのセダンとはキャラクターが違いすぎる。

でも運転している限りは、それほど違和感はない。
かつて仕事で借りたハイエースに比べれば、きちんと「乗用車」だった。車幅感覚が掴めれば、街中も楽に走れそうだ。
内装はまるで好みではないし*1、サイズのわりにふわふわと変な揺れ方をするし、燃費だって悪い。値段や雰囲気のわりに、細部の質感や乗り心地は安っぽいと思う。
正直、独り者には不要な車である。車体のわりに荷物も積めないし*2。乗るなら後部座席がいい。

「次の車検前には手放したい。もしよかったら、貰ってくれないか」と持ち主は言う。でもいらない。僕を知る人達も、僕がラグジュアリーなミニバンに乗っていたら驚くし、困惑するだろう。

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全然関係ないけれど、今日からシュトレンを食べ始めた*3
今年は遠方の知人からプレゼントされた。ラムに加えてキッシュとスパイスが香る不思議な味。薄く切り、少しずつ食べるほうがおいしいタイプの品だ。毎晩の楽しみができた。

 

 

*1:オートバックス的なラグジュアリー風味が強すぎる。

*2:座席を外してしまえば、自転車運搬に良さそうだ。

*3:試作品で、食べ頃がクリスマスよりずいぶん早くなってしまった…とメモが添えられていた。

牛肉のフォー

本当に久しぶりに、たくさん喋った。びっくりした。今日はそんな日。

初夏そして初秋と人と会うことが無く、制限だらけの一年。
最近は徐々にその制限も緩めている。

今日は友人と会ってきた。
今月になって"制限解除"をしてから、家族以外の友人知人と外で会ったのは今日が初めてではない。でも何かの用事のついでだったり、相手の家族数人と会う機会だったりと、「食事とおしゃべり」の時間は本当に久しぶりだった。もしかすると300日くらいは家族以外の誰とも、こういう機会が無かったような気がする。

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そんなわけで、これも久しぶりの「ベトナム料理タンフン」でランチを食べてきた。
もうすぐ昼の時間が終わり、という慌ただしい時間でメニューに制限があったなかで選んだのが牛肉のフォー、そしてランチセットということで生春巻とチェーが付く。

いつもながらおいしい。出汁がいいのだ、この店のフォーは。なんだか優しい気がする。

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さつまいもや豆がたっぷりのチェーも良かった。

まだまだ油断はしていないけれど、でもとにかく友人と話せて良かった。
様々な”解除”のたびに、小さな感動や感慨が訪れるものかと真夏には思っていたけれど、しかし現実はそれほどでもない。十分に楽しいけれど、なんとなく約束をして、元気だったと挨拶をして、この店も何年ぶりだろうと言いながら街を歩く。そういう普通の連続こそが貴重なのだろうとはわかっているけれど、別に立ち止まって感激の涙は流さない。
でも、やっぱり良いものである。たくさん喋った感じが慣れなくて、帰宅してから少し考えてしまったことは別としても。「この喉はなんなのだろう」と、一瞬だが考えてしまった。

 

 

お題「気分転換」

 

 

灯油の香り

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帰宅したら庭も車庫も油くさい。
家の前の道路も、全体的に臭う。
四日市市に住んでいたときに散々嗅いだ、ナフサやジェット燃料みたいな臭いだ。ガソリンとは違う気がするけれど、車の故障も怖いので、念の為に調べてみることにした。

雨が降っていて地面が濡れている。
そこに油膜ができていた。
僕の車のタイヤ跡も油膜で車庫まで続いている。どうやら油がどこかで溢れて、タイヤなどに付いて広まっているらしい。

油膜の帯は自宅前の私道を抜けて街のほうまで続いている。
そして油膜の終端は、自宅の3軒隣の家のようだ。

おそらくは、灯油の配達だろう。
そういえば冬にはガソリンスタンドが灯油を移動販売していた。
我が家は灯油を使わないので失念していたが、そろそろストーブを出す時期でもある。

灯油を扱っている時に、油をこぼした。
それが私道に広がり、一部はタイヤに、そして残りは揮発していった。結果として車庫や庭や、集落全体が油くさくなった。そういうことだろう。

実はかなり怖かった。
日常で灯油を扱う機会が無くなってずいぶん経つ。
前々職では、石油系の臭いは「ただちに作業を停止し、関係部署に報告」のトラブルだった。実際に死傷事故もあった。

それにそろそろ、車からオイル漏れがあってもおかしくない。
マツダ車の耐久性がどれくらいか知らないが、普段は気づかない小さなトラブルが起こっても驚かないくらいには長く乗っている。
車に傷ができても気にしないけれど、機械として壊れるのは嫌だ。
今回はまあ、杞憂で良かった。

それにしても濃い臭いだった。どれくらいの量をこぼしたのだろう。
人騒がせなガソリンスタンド(の灯油配達サービス)である。

 

この「灯油疑惑」以外は至って平和な月曜日。
昨日、パウンドケーキを焼いたので、今日から食べ始める。普通においしい。スーパーマーケットのものよりはおいしいけれど、良いケーキ屋さんで買えば、何倍も幸せになれるだろう。そんな味だった。

 

 

 

ハンティングジャケット

午後から天気が崩れるとわかっていて、それでもまだ大丈夫だと自転車で出かけたら、びしょ濡れになった。

慌てて帰宅したら家の周りは晴れていて、とても損をした気分。気分というか、損である。明確に失敗である。

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さて、先ほどまで静岡の街に行っていた。
秋冬用のハンティングジャケットを買いに行ったのだ。
前から欲しかった服ではあるが、買うのなら実物を見たかった。東京に出かけた時に買おう、と考えているうちに例のウイルスで都会に(つまり県外に)行くこともなくなり”自然消滅”するはずだった物欲ではある。今回、静岡のデパートにお店があると知って、ならば買おうと出かけたのだった。

ポケットがたくさんあって、普段の外出ならば鞄が要らない。大きめのハンカチなどを収めてもシルエットが変わらないのは、さすが老舗の品である。

携帯電話、財布、ハンカチとティッシュとメガネ拭きとマスク(予備)。電子書籍リーダーのKindle Paperwhiteを入れても余裕があった。小さく畳んだエコバッグも収まる。
背中側には大きなポケットもある。本来は地図やブランケットを収めるらしいが、パンフレットにはノートパソコンやタブレットを入れた画像がある。試したらMacBookAirも入ったけれど、緩衝材があるわけでもないし、転んだら僕の身代わりに壊れてしまいそう。ただし、重さが分散されるのか鞄よりも楽ではあった。
7インチのタブレットなら内ポケットに入るから、最小構成の「出先でデジタル作業」はタブレットMacBook Airは鞄も持ち歩くことになる。

同じジャケットは大昔に持っていたけれど、サイズ感もシルエットも随分と近代化している。以前は本当にアメリカのハンター用という感じだった。新しいものは街で着ていても問題ないだろう。
これ1着では防風防雨にしかならないと説明書きにはあるけれど、セーターやフリースを着ていれば静岡の冬では十分に暖かい。というか、他の土地で着ていた服が、静岡では暑すぎる。

 

いつか、これを着てキャンプに行きたい。
とりあえず明日からの自転車散策のお供にしよう。

 

 

お題「これ買いました」

 

人混みを避けた土曜日とBaumkuchenの呪い

先日に引き続き、部屋に250mmのステンレスパイプを大量に取り付けていたら、部屋の一部がウォークインクローゼット状態になった。そもそも、今の時代は「突っ張り棒」が安価で手に入る。ステンレスパイプは工作用に備蓄があるから安上がりではあるが、本当に作り付けのハンガーラックと同じ外見になるから、ちょっとだけ「気が触れた人の部屋」みたいな雰囲気になってしまう。
そもそも、それほど引っ掛ける物が無いのだった。引き出しや箱に詰めたほうが部屋はすっきりする。

 

 

朝に両親を乗せて車で駅まで行った。
土曜日の午前中にしては、どの道も混雑している。帰宅してライブカメラを検索してみると、今日は全国的に行楽日和だそうだ。
午後にショッピング・モールに行くつもりだったのだが、途中で渋滞と人混みにうんざりしてUターンした。それくらいに、街に人が溢れていた。

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ところで今日は遠方の知人である昔の上司から焼き菓子が届いた。
早期退職をしたので、印象に残っている元同僚にバウムクーヘンを送ることにした、と手紙が添えてある。だから他の元同僚には黙っていろよ、とも書き添えてあった。

返礼や会食の”距離感”が少し普通ではない人ではあった。
最後まで、ちょっと変な贈り物なのが面白い。
ともあれバウムクーヘンは好物である。今日から少しずつ食べていく。

以前、バウムクーヘンのいちばんおいしい食べ方について教わった。
10mm〜7mmだったか、皆の想定よりも薄めに切るのが最もおいしいという。実際に、薄く切って少しずつ食べると、バターの風味が格別になる。もぐもぐと頬張る品ではないと実感できる。
ひと手間かかるし、「そこまでしなくても」と思うことも多い。
でも、もうこの薄切りでないと”間違った食べ方”とさえ思うようになってしまった。こうなると呪いである。でも幸せな呪いではある。確実においしいのだから。

 

 


先ほど動画配信サービスで映画を見たのだが、つまらなくて途中で止めてしまった。
どんな映画でもそれなりに楽しめる、と自負していたので少しだけ衝撃を受けている。映画館と違って自由に動ける、そしてサービス期間中で格安だったからこその離脱ではある。でも本当につまらない映画だったのだ。こんなにつまらない映画を作って邦画の未来は大丈夫かと心配になるくらい。

では寝ます。おやすみなさい。

 

 

ドーナツと月食

甘すぎるドーナツはだんだん食べられなくなって、彼らに近づいたけど…と古い歌にあるが、たしかに歳をとるとドーナツもたくさん食べることができなくなる。数(量)だけでなく、食べたいと思う機会も減る。

 

 

その数少ない機会、ドーナツを食べたいという衝動が、今日の午後に発生した。
月食と関係しているのかもしれない。あるいは何か嫌なことがあったのかもしれない。ドーナツをたらふく食べた後の今となっては、そのときの気持はわからない。ドーナツとは、そういうものなのだ。

 

 

今日はミスタードーナツ静岡県中部では珍しい路面店に行ってきた。というか偶然近くを立ち寄った。

ドーナツは3個。チョコファッションと、亜麻仁をあしらった揚げパンみたいなドーナツ(名前は忘れた)、そしてピカチュウのドーナツを選んだ。
飲み物はもちろんホットコーヒー。ドーナツはコーヒーによって中和され、炭水化物や脂質ゼロのヘルシーな食べ物に変化するので。

ピカチュウのそれは、本当に出来心だった。
そもそもポケットモンスターには何の思い入れもない。友人の子供が夢中になっていた…くらいの距離感である。ピカチュウ以外にも、色違いの亜種がいたけれど、まあ初心者なのでとピカチュウを選んだ。

ちなみにポケットモンスター・ドーナツは数量限定で、一人あたりの購入数が限られていた。僕の前の客*1はトレイ2つに山盛りを確保して、レジで断られていて、「じゃあ2回並べば売るのかしらね!!」と怒っていた。実際に、3サイクルほど購入を繰り返していて、3回目には断られていた。2回目は数分の時間を置いて、それなりにおとなしくレジに向かっていたのに、3回目は(4回目用の)ポケモン山盛りトレイをテーブル側に確保していたから、完全に悪質な客と見做されてしまったのだった。もはやお目溢しをする相手ではない、と決めたチェーン店の対応は厳しい。しかし、子供連れの多くが購入するポケモン・ドーナツなので、それも当然の態度だと思う。

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僕はそんなどたばたを眺めながらドーナツを楽しんだ(読書も楽しんだ。)。
チョコファッションは安心のおいしさ。亜麻仁ドーナツも悪くない。
ピカチュウは凡庸な味、でも造形が良いので満足した。「まるで生首じゃないか」と一瞬考えたけれど、あるいは原作アニメにそういう場面があるのかもしれないと考えて、それ以上の追求は止めておいた。

コーヒーも安心のミスド味。
おかわりをお願いしたところ、2杯目以降は6分毎に注ぎに来て、なかなかに忙しい。シンクにコーヒーを捨てるよりは客に飲ませるほうが環境に優しいのだろう。僕以外におかわりする客がいなかったので、僕が3杯を飲み終えた時点でもサーバーにはたっぷりとコーヒーが残っていた。もしかすると、僕のために大量のコーヒーを作ってくれたのかもしれない。4杯目は断ったが、若い頃ならばもう少し店の要求に応えていたと思う。

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夕暮れ時には月食を見た。自宅からは建物や山で上手く見えないから、散歩がてら見える場所を探した。スマホを掲げて撮影する人もいたけれど、特に月食に興味がない、あるいは知らない人のほうが多いようだった。
サングラス越しに見ようとしている人がいたが、おそらくは日食と勘違いしたのだろう。
どういうわけかクリスマス・セーターを着ている人を2人も見た。確かにクリスマスは近いが、月食の観測には似合わない気がする。

 

 

そんな金曜日。
ドーナツを食べ過ぎたので、夕食は米飯をキャベツに換えて、鶏肉は皮を剥がしてから焼いた。
今日は3個食べられたけれど、たぶん次は2個でもお腹いっぱいになりそう。加齢は辛い。ただし可愛いドーナツがあったら、また3個目をトレイに乗せてしまいそうだ。

 

 

*1:上品な御婦人だった。

食べる前に絞り出すタイプのモンブラン

和菓子屋の喫茶部にてモンブランを食べてきた。
これは昨日の話。

 

喫茶部、といってもInstagramのタグによくある「パフェ部」のような、学校の部活動に擬えたバーチャルで緩い意思表明ではない。ちなみに僕は、いつまでたっても「仲良し=学校生活」を持ち出す貧困な感性を好まないのだが、それはまた別の話。

甘党趣味者が言うところの喫茶部というのは、和菓子店の喫茶部門のことを指す。
もう少し具体的に言うと、地方の和菓子チェーンにおける、店内にある喫茶室のこと。

家族経営の和菓子屋ではなくて、地方銘菓や名物菓子、そして季節菓子を扱う中規模のチェーン。県内の1地方を寡占しているが、県下全般を覆うほどの大企業ではないことが大半。
洋菓子の扱いも珍しくない。そして、地方の文化発信地でありたいという気概が店の作りなどに現れることも多々ある。

大雑把な感覚だと、西日本のほうが「お茶が飲める和菓子チェーン店」は多い気がする。
四国の香川県では(観光地ということもあって)喫茶部のある和菓子チェーンがあちこちにあった。しかも、入ってがっかりすることがほとんどない安心感があった。「地元の老人専用」みたいな喫茶店も多い高松市においては、ちょっと甘いものを楽しみたいときには第一選択に挙がる場所になっていた。高松市丸亀市の「名物かまど」も、観音寺市の「白英堂」も、日常のなかの小さな贅沢として、とても良い場所だった。

かつて静岡県中部では「ロリエ」がそういう立ち位置だった。
「かしはる」グループもそれなりの勢力はあるが、基本は和菓子販売に注力していて、喫茶どころか”時代に合わせた新形態の店舗”すら見かけない。だから、静岡県中部は、喫茶部という観点ではかなり寂しい地域といえる。

ところで最近は、その中部においても「たこまん」が進出してきた。
県西部ではあちこちにある「たこまん」だが、中部への進出は「ロリエ」を吸収してから。だから新店舗が大半で、洋菓子中心のモダンな店舗や、カフェの併設が多い。

今日はそういう「たこまん」の1つ、藤枝店でモンブランを食べた。
ほぼ偶然、ちょうどコーヒーを飲んでパソコンを使いたいタイミングでお店を見つけたのだった。
カフェといっても紙コップの簡易的なものだし、こういう店でコーヒーだけというのもつまらない。とケーキなども見ていたら、「生モンブラン」なるメニューを発見した。
これはつまり、マロンクリームを食べる直前に絞るタイプのモンブランだ。
いちど食べて見たかったので、注文をすることにした。

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お店で売っているモンブランよりも、マロンクリームの量は多い。
それだけで大満足。注文して良かった。
良い偶然に、甘党の神様に感謝したい。

ただし、中に仕込まれたアイスがとても硬かった。新幹線で売っていたアイスを思い出させる硬度。そして、しゃりしゃりしている。対比となるのがマロンクリームだから、この硬さは気になる。それにどうしても「底上げ・マロンクリーム節約用資材ではないか」という疑いを消し去ることができない。こういうことは考えたくないのだが、つい「ケーキ専門店とは違うのだなあ…」と嫌な言葉が頭に浮かんでしまう。

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そもそも僕が求める「絞り出すタイプのモンブラン」の、要求が高すぎるのだ。
子供の頃に深夜のフランス映画で見たモンブラン
大皿に、きしめんみたいなマロンクリームが山盛りに出されて、3人のおっさんが好きなだけ自分の皿に移して、もりもり食べていた。
「男なのに甘いものを」といった雰囲気は皆無で、実においしそうに、かつ気取りなく、ほとんどマロンクリームの塊(焼き菓子が添えてあった)をフォークで口に運んでいた。
なんというか、存分に1種類のものを食べる贅沢さが、あの映画から伝わってきた。
もうタイトルも忘れたし、ストーリーだって理解も記憶もしていないけれど、僕にとってのモンブランといえば、わけのわからない深夜映画のモンブランである。
昨今のモンブラン・ブームには期待しているけれど、まず静岡県の田舎では「たっぷり絞り出すタイプのモンブラン=生モンブラン」に巡り合うこと自体が少ないし、ようやく出会えても、この「たこまん」のように、せいぜい及第点なのだ。

 

 

都会の人は言う。「田舎がいいよ。都会には用事があった時だけ遊びに行くのがいい」
なるほどそれも道理である。しかし、こういった細かな部分での選択肢の少なさは、たまに遊びに行くだけでは絶対にカバーできないのだった。

マロンクリームを自作して、思う存分食べるという手も無いわけではない。
生栗から作らないのならば、それほど手間もかからない。ケーキ材料店なら、出来合いのマロンペーストが(それなりの量になるけれど)手に入る。
絞り出し機も、簡単に作れるだろう。
でも、たぶん作っているうちに気持ちが冷める。真顔で絞り出したモンブランにどれだけの祝祭が宿るのだろうか。

だからブームのうちに、満足できるモンブランを探さなければいけない。
しかしブームのものをいち早く取り入れる店はおしなべて質が低いこともまた、田舎の常識である。「流行っているから」で新メニューにどんどん取り入れる店*1のものは、大切な何かが抜けているものなのだ。とても悲しいことだと思う。

 

 

ちなみに今日は平和でした。
この「ノスタルジア喫茶」は期待している。前作の「ノスタルジア食堂」は素敵な本だった。

お題「わたしの癒やし」

お題「昨日食べたもの」

*1:例えば「たこまん」

マンホール→転倒

自転車で出かけた際に腰を打った。
よくある濡れたマンホールによる事故。細くて溝がない自転車にとっては、大敵である。
それでも僕の自転車は、大抵のマンホールは気にせず走れる。スポーツ・タイプのタイヤとはいえ、タイヤ径は小さく、速度もそれほど出さないから。
それに最近のマンホールは絵柄が凝っていて、凸凹も複雑なので、ひやりとすることはあっても、転ぶほど滑るのは珍しい。
今日はマンホールというよりも機械設備の蓋みたいなもの、しかもなぜかびしょ濡れになっていた場所を通ってしまった。こんなマンホールは、四日市の化学コンビナート以来である。

というわけで、痛み止めを飲んで自宅でパソコン仕事に邁進するしか、やることがない。腰痛や捻挫ではなくて、ただの打撲だったのは不幸中の幸いだろう。

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先ほど少しゲーム機を触ったのだが、どうやら今日は操作がおぼつかない。鎮痛剤が効いてくると、コントローラー操作がおぼつかなるのだ。「ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド」で、ちょっとありえないミスを連発してしまった。

そんな時でも、Adobe IllustratorMicrosoft Excelは間違いなく操作できるのだから、やはりゲームというのは特別に複雑なのだ。なにしろExcelは、操作に手間取ってもセルやフィルハンドルが攻撃をしてくることもない。ゲームオーバーが無いところが、ゲーム以外のソフトウェアの良いところ。

幸いなことに、昨日の風邪は完全に治まった。しっかり寝たせいか、午前中は頭がすっきりしたくらいだ。だからこそ、今日の夕方に腰を打ったことが堪える。明日また何か”不幸”があったら、精神的ダメージも大きいだろう。

そんなわけで、今日はもう寝る。
他にも色々とパソコンでやることがあった気がするけれど、ミスが怖いので今日は避けて、明日に早起きして済ませたいところ。鎮痛剤のぼんやりとした感覚が、「もう眠れ」と僕に訴えている。
おやすみなさい。

 

 

 

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