マリアさまとブロッコリー

今日のお弁当はこんな感じ。

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  • 雑穀ごはん
  • 鶏ささみコンソメ
  • 白菜とハーブの浅漬け
  • トマト
  • 鶏肉とじやがいもと玉ねぎの油煮

白くて茶色い。鶏肉が2種類入っている。
冬場はブロッコリーがあるとお弁当に便利。彩りにもなるし、安いし、調理も楽だ。栄養面も申し分ない。
でも僕はブロッコリーが大の苦手なのだった。出されれば食べるけれど、自分では絶対に買わない。

幼稚園児の時に巨大なブロッコリーが給食で出た。
幼児の印象で巨大だったわけではない。房を小分けにせず、太めの茎ごと1本まるごとお皿に乗っていたのだ。「ブロッコリーは、実は茎も美味しいんですよ」と料理本などで紹介される時の“茎”と、そこから生える花芽全体である*1

もちろん僕は食べることが出来なかった。
マヨネーズも苦手だったから、なおさら無理。

 

 

この幼稚園では、給食を残した子供は、お昼寝の時間が剥奪される。
それだけではない。
食べられなかった料理と共に、大きな聖マリア像の前で正座させられるのだ。親が迎えに来るまで延々と座らされることになる。

キリスト教で正座かよ」とも思うが、とにかく食事には厳しい幼稚園だった*2。他はわりと自由な、明るい気風の園だったのだが。

とにかく巨大なブロッコリーの皿と、その前に、さらに巨大な(2mくらいあった)聖マリア像があるのだ。マリア様は、裸足で蛇を踏みつけている。蛇は悪魔の化身と教わっていた。
前の年までは無宗教な公立保育園に通っていた僕が感じた「宗教の不気味な側面」が、このマリア像だった。

大人になると、海外のイコンやモザイク画やレリーフで、もっと怖い雰囲気の聖マリアやキリストや天使を見る事がある。
でも僕がキリスト教に抱く不気味さの根には、あの日の(ブロッコリーとセットになった)聖マリアさまの像があるのだ。

あのブロッコリーがどうなったのか、全く覚えていない。
口に突っ込んで、トイレで吐き捨てたのではないだろうか。今よりも理性に欠ける人間だったため、無理やり飲み込めなかったと思う。

 

 

同じく怖い神様(とその脇役たち)で思い出すのが、祖父の家の近くにあった仁王像。大きな寺の門に2体立っていた。悪さをすると、兄弟で連れていかれて、放置されたものだ。2人でびいびい泣いていた。
でも仏教の怖いものは、今はその怖さも想像できなくなっている。不動明王や摩利支天も「よくできているなあ」とは思う。ただ、小さい子供が、無条件に怖がる理由をしっかり言葉にできない。「牙が生えているから」「怒った顔をしているから」といった要素以外に、エピソードが無いからだろうか。祖父も父も、地獄か何かに絡めたお話をしてくれた記憶があるけれど、成長すればそんなものは作り話だとわかる。

僕の魂にまで染み付いた「怖いフィクション」は、やはり聖マリア様(とブロッコリー)だ。他は概ね大丈夫。
ノンフィクション部門では、安全帯の無い高所作業や、切れ味が悪くなったカッターナイフが怖い。
それからバウムクーヘンも怖いです。

 

まんじゅうこわい (ランランらくご)

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マリア様がみてる1 (集英社コバルト文庫)

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マリア様がみてる2 黄薔薇革命 (集英社コバルト文庫)

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*1:どちらかといえば、今の自分が(もしブロッコリーを好きだったら)こういう食べ方をしただろう。でも断じて、繊細な年長さんに与える料理ではない。いや、料理とは呼べない。

*2:シチューなどは食べ終えた後にパンで拭う決まりだった。半年以上、それができなかった。