高松市の古いアーケード街の端に、美容院と床屋がある。同じ建物で中も繋がっていて、看板には「理髪・美容」と掲げられている。
とても素敵な古びかたをしていて、装飾された窓も、ペパーミントグリーンのタイルも可愛らしい。
少し前まではお年寄り専門の雰囲気があったが、今はどうやら若い人が後を継いだようなので、行ってみた。
外から見える古い美容院部分はダミーというか飾りのようなもので、現在は、奥が改装されて床屋になっている。美容院部門は廃業したようだ。
その美容院だったレトロな部屋は待合室になっていて、色々と注意書きが書かれている。
「髪は洗ったままが望ましい」
「整髪料で形を整えている場合、正しく髪型を捉えることができない場合がある。つまり仕上がりに悪影響がある」
「汚れた髪もまた、仕上がりへの影響が大きいため避けるべきだ」
「コンディションの悪すぎる髪はお断りすることもある」
「カメラやスマホでの撮影は禁止。調髪中は絶対に駄目だ」
「染めた直後の散髪は望ましくない。よって不出来な場合のクレームは受け付けない」
こういうメッセージが、赤みがかった黄土色の大きな短冊に書かれ、あちこちに貼ってあった。
嫌な予感がする。
漢方薬局や無農薬カフェや無国籍料理店兼雑貨屋(消費社会を考え直すきっかけが云々)では珍しくない、張り紙だらけの店*1。しかし自分の身体の一部を切ってもらうにあたり、この種の“街のおかしな人のお店”を選ぶのは、どう考えてもまずい。
ちなみに「食券機」で、まず料金を支払う。といってもボタンは「大人」「子供」「老人割引」程度。「パーマや染髪は応相談」と、これまた貼り紙がある。そんなに客の多そうな店ではないのだから、普通にレジを導入したほうが安上がりだと思うのだが、よくわからない。
本当は回れ右して帰りたい気分だったが、食券機(券売機)で支払った後ではそうもいかない。
でも僕の危惧とは裏腹に、というと変な話だが、髪は普通に切ってもらった。
特にお洒落でもない30代後半の店主が、ひたすら喋りながらざくざくと切っていく。ショッピングモールにある安い床屋よりは丁寧だが、街の普通の床屋さんよりは雑。
切るスピード(cps:Cut per second)が妙に遅いのが気になる。そのせいか、丁寧な店と同じくらいの時間を使ったわりには細部の調整ができていない。というか、切った後に確認して修正する、という作業がほとんど無かった。
幸いな事に、変なシャンプーやクリスタルを売りつけられることは無い。というか僕の出す髪の注文や、僕の髪質には何の興味も無いようだった。
髪を切りながら聞いた話をまとめると、こんな感じ。
- 店主が祖父母から引き継いだ。
- 資格は取ったが、本当は髪なんか切りたくない。雑貨屋か古着屋をやりたいが、音楽に興味が持てないので挫折した。
- 普通の理髪店では先が見えないので、サブカル雑貨屋的な特徴を持たせたい。
- 客にも髪のことを理解してもらいたい。そのほうが良い結果を出せるので。
- 新しい事を続けていかないと駄目な時代である。そのために試行錯誤しているが、どうにも上手くいかない。
- 本当はクールな雰囲気に改装したいが、嫁や母や娘がレトロ趣味なので、古い内装を活かしている。
- 古い建物好きの連中が来るのが面白くない。彼らは常連にはならない。写真を散々撮って、次からはキラキラした美容院に行く。
- しかし髪を切ることで客をハッピーにする意識はどの店にも負けていない。
- 美容も理容も最低な連中ばかりだ。髪の事しか考えていない。
- 意識、意識、意識が大切なんだよ。
なるほど、色々と難しそうだ。
こういう人は、仕事で何度も遭遇している。
熱意が空回りするタイプの、「意識が高い人」だ。
ミリ単位の精度で部品を作る仕事があるとする。その時に、普通の人は10分の1ミリ単位くらいまでは気にして仕事を進める。そのほうが結局は上手くいくからだ。
でも「意識が高い人」は、千分の1ミリ単位までこだわる。ここで問題になるのが、彼が千分の1ミリ単位での測定ができない事。いくら頑張っても、測定の精度が低ければ、仕上がりの確認は“お気持ち次第”となってしまう。本人は視野狭窄に気づかず、10分の1ミリまでしか測れない測定器で、うんうんと唸りながら長さを確認しようとする。そして、1ミリ単位の精度で合格とし、次の仕事に移る同僚を「意識が低い」と非難する。
仕事だったら上司が止めることができる。「それは、趣味だ」と言えばいい。
飲食店ならば、3ヶ月もすれば否が応でもこんな“こだわり”はできなくなる。仕入れコストに耐えられなくなるので。
でも、始めから流行っていない、でも店構えに惹かれて若い客も稀に来るような床屋では、なかなか歯止めが効かないと思う。
そんなに料金も高くないし、こちらからは何も話さずに済むし*2、個性的だが悪い店だとは思わない。でも僕はたぶん、特に理由がなければこの店には行かない。
意識が高いのは結構だが、彼が見ているのは僕の髪ではなく、もっと崇高な何かだ。そういう人に髪を切ってもらうのは怖い。何かしらの事故が発生する確率が高い気がする。
彼の自己実現の為に、わざわざ街まで行って、お金を払って、髪をお願いする気分にはなれない。
ちゃらちゃらした美容院で、似非科学的なトリートメントやシャンプーを勧められ、マイナスイオンからダイエット法を語られるよりはマシかもしれない*3。しかし、「どちらがマシか」という視点で酷い場所を選ぶ義理も無いだろう。
ところで今日のお昼ごはんはカレーを食べた。
高松市の郊外、木太町というところで見つけたカレーと洋食のお店。特に何も考えずに選んだ店だったが、ちょっと変わったカレーで印象に残っている。
メニューには「イエローカレー定食」とあった。でも見た目は白い。
そして味は、タイカレー。ココナツミルクと唐辛子の、あのタイのスープ感が強いカレーだ。それが、洋食的なカレーライスになっている。
普通に美味しいし、面白い。たぶん店主は面白さを求めてこのスタイルにたどり着いた訳ではないと思う。でもそれで良い。
これで「どうだい面白いだろう?」と、“貼り紙”がされていたら、僕はこの店の事を嫌いになっていただろう。味だけの問題ではないのだ。
*1:この種のメッセージ性の強すぎる貼り紙は、大抵が「奇妙な色の、奇妙な縦横比の紙」で作られている。実に不思議な事だ。ああいう紙は何処で売っているのか。JIS規格の紙をどう切ればあんな寸法になるのか。
*2:とても大切な要素だ。美容院でも床屋でも、髪を切られている間は黙っていたい。安全な全身麻酔が開発されたら、理容・美容分野にも適用していただきたい。
*3:総じて美容師は科学と医学に疎い。
この事を友人の美容師に伝えたところ「当然ではないか。勉強が得意な奴は、美容師の道を選ばない。知識が増えても体系的に学んだ訳ではないから、科学でも医学でもない話しかできないのだ。
ソフトバンク・ショップの店員は携帯電話の料金体系を理解しているわけでも、周辺技術を学んだわけでもなく、販売マニュアルを覚えているだけ。それと同じだ。」と言っていた。なんというか、容赦が無い。