いらないものをすてること

実家に滞在中。
例年通りならば今日も大道芸ワールドカップに行く。でも今年は家でやることがある。

前にも少し書いたが、我が家には大きめの倉庫がある。
敷地の角に、乗用車用の車庫を改造した倉庫がある。軽自動車なら詰めれば2台入るくらいのスペースが、板張りの小屋になっているのだ。元々は家を建て替える際に、一時的に家財をしまっておくために作った建物。両親が老い支度として家をダウンサイジングしたため、そのまま季節の物や非常用品、かさばる消耗品などの置き場となっていた。
古い本や趣味の品、捨てられないものも溜まっていった。

そして僕の家財道具一式もここに収められている。
三重県に住んでいた時に病に倒れ、急遽静岡に帰ることになった。その時に、アパートにあった品は全て「引っ越しらくらくコース」でプロの手によりきっちりと梱包され、この倉庫に詰め込まれた。

何年もかけて心身が回復し、実家暮らしにも慣れたが、この倉庫の中は基本的に手つかず。必要なものだけ引っ張り出していたけれども、家族と暮らしていれば調理器具や部屋の雑貨なんて、まず出番は無い。倉庫を漁るよりは、新しいものを買うことが多い。

 

 

そして昨年。僕は四国にて新しい生活を始めることになった。
しかし倉庫の生活用品はほとんどそのままだった。
新天地に全ての梱包済み一人暮らし用品を運び込むような時間的余裕がなかった。倉庫を発掘し、整理し*1、引っ越し業者に引き渡すなんて無理。
なにしろ仕事の引き継ぎのために四国(ホテル暮らし)をしながら静岡や東京を往復し、静岡の拠点を閉める仕事と、それらに伴う対人トラブルと、体調不良と、仕事を辞めた後の自分へのご褒美であるガラパゴス諸島への旅の準備、もちろん通常業務も行っていたのだ。
四国は秘境ではないから(≒ガラパゴス諸島とは違うから)必要なものは少しずつ現地で揃えればいいや、と考えたのだ。

それに、最終的に心身を病んだ三重県での暮らしの品をそのまま活用したいとも思わなかった。食器も台所用品も家具も吟味して気に入っていたものばかり、でもそれとは別にぼんやりとした忌避感があった。
だから、忙しい日々の合間に、本当に新しい生活に取り入れたい品だけを倉庫から引っ張り出して、四国に運び込んだ。

新生活の準備にかかる費用の多くは、静岡で務めていた会社が出してくれた。拠点を閉め退職し四国の関連会社に移るという一連のドタバタに対する経営陣の”配慮”である。いろいろなことが金で解決したので(しかも他人の金で!)苦労して倉庫をひっくり返さずに済んだともいえる。

かくして、実家の倉庫は我が家と自分にとって、不要不急の品が詰まった魔窟となった。僕が四国に移るときに、趣味の品々の多くもここに加わったので、さらに混沌が深まっていた。

 

しかしもちろん、いつまでもこのままではいけない。
四国で暮らして1年、ほとんど不自由はしていないけれど、どうしてもその辺で買って済ませてしまうことは多い。吟味して選び手に馴染んだ道具ばかりというわけにもいかない。
それに単純に、安物が部屋に増えていくことになる。香川県のどこで何を売っているのかも知らず、大きな会社の正社員だった三重県時代とは収入も違う。
選んで買って愛用していた品々が実家の倉庫に眠っているのに、ニトリやイオンや100均でお手軽に買い直すのはいかにも貧しい。金銭的にも精神的にも無駄遣いだと思える。四国での暮らしに慣れた今、その思いはさらに強くなっている。

 

そして何より、両親がそろそろ老い支度というか、本格的に人生の片付けを開始したのだ。
彼ら自身の入院もあるし、ここ数年で親類が何人も鬼籍に入ったことも影響しているだろう。今のうちに、身体の動くうちに倉庫をさっぱりさせておこうと考え、僕にも協力要請が来たのだ。

だから今回の帰省は、倉庫の整理が目的のひとつ。
今までの帰省でも、静岡から四国に戻る時は倉庫からピックアップした山ほどの荷物を運んでいたが、今回はその最終便となる。今日の整理で残ったものは原則として処分される。もちろん両親や兄弟の品も同じ。どうしても、というもの以外は残さない。

たぶん秋の終わりか、冬の間に、専門の業者さんを呼んで倉庫の中身を運び出してもらうはず。わけのわからない壺から父の趣味の陶器、今となってはオーバーサイズな箪笥や、兄のギターアンプ、そして僕の本や雑貨たち。

片付けているとすぐに手が止まってしまう。でも丸一日かけて、ようやく作業を終えることができた。
実家がここに移ってきたのが小学生の頃。家を建て直しても、結婚や転居で家を出ても、収納があったから捨てずに溜まっていった品々。小学生の時に描いた絵まで出てきた。

そして今、僕の車には家財道具が詰まっている。明日、四国へ帰るのだ。
折りたたみ自転車だけでもかさばるのに、縁台からスーツケースから炊飯器まで、文字通り詰め込んである。試しに先ほどその状態で走ってみたら、あちこちから荷物が軋む音が聞こえてきた。夜逃げ、あるいはイタリア映画における庶民のバカンスみたいな見た目だ。

大好きな大道芸ワールドカップに行けなかったのは残念。
しかし倉庫の中身というのは、僕にとってひたすら先送りにしてきた文字通りの「荷物」だ。
いくつかの大物は実家に保管してもらうが、それ以外は基本的に四国の暮らしに持ち込むことになる。一人暮らしのアパートには過大な量だから、これから個人的な取捨選択が必要。それも含めてなんとなくすっきりした気分。

両親も少し、ほっとしている様子だった。
倉庫の中身を一時的に外へ出した時に、「もういらないものばかりだー」と皆で笑ってしまった。家族旅行で買った木彫りの置物も、”ものは良いから”と捨てられずにいたテーブル(この土地に引っ越してきたときに奮発して買ったものらしい)も、人生の終盤となった彼らには(そして僕にも)何年も何十年も出番のなかった「いらないもの」なのだ。そりゃあ笑ってしまうよ。

 

 

ダンス・ダンス・ダンス(上) (講談社文庫)

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ダンス・ダンス・ダンス

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一番わかりやすい エンディングノート

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*1:何年も箱詰めされていたのだ。傷んでいるものも、もう不要なものもある。