激動の2018年

振り返ると「変化」これに尽きる2018年だった。

新しい仕事に就いて数ヶ月で迎えた正月、1月2月3月と出張続きで始まった。
今思うと滅茶苦茶な職場だった。たった数人の社員全員が素人、学びながら助け合いながら試行錯誤して““会社のかたち”を築いていった。上司も役員も不在の、ある意味で自由な、しかしどう考えてもまともじゃない会社。そのうち1人は常識外れに世間知らずな(アルバイトだったら3日と持たない勤務態度の)社長の息子氏だから、徒労感に襲われることも珍しくなかった*1。我ながら良くやったと思う。
とはいえ、他の年若い同僚達(ひとりは学校を卒業したばかり!)と文句を言いながら働いた時間は、決して無駄ではなかったと思う。
たった1人、社会性に欠けた大人がいただけで、「会社で働くとはどういうことか」を深く真面目に考える事になった。不本意な状況だったにせよ、「仲間がいるから辞めないで頑張る」という意識を最後まで捨てずにいたことは、今の自分の芯になっている。


とにかく早朝の新幹線に乗って、東京や大阪や四国に向かう日々だった。ビジネスホテル、もう飽きた。


合間に旅行もしていたのだから、ちょっとあの頃の自分はおかしい。
変な具合に、移動慣れしていたのかもしれない。

 

平日勤務、土日休みのホワイトカラーということで、休日にしっかり遊ぶ、あるいは平日の夜でも人と会って遊ぶことができるようになった事も自分としては新鮮だった。仕事帰りに映画も観たし、前の勤め先の人達と会う機会もあった。
零細とはいえ正社員、なんとなく私生活も安定していたように思える。

 

そう、小さな会社に勤めるのも人生初だった。
待遇やルールよりも何よりも、小さな会社では社内外の「社長」と話す機会が多いのが印象に残っている。世の中には本当に多くの社長がいる。それぞれ特徴的な人ばかりだった。

春から夏にかけては、勤め先が「移転または閉鎖」されるという方針が密かに伝えられて、ちょっとうんざりしていた記憶がある。東京に移るのか、親会社のある四国に渡るのか、あるいは会社を辞めるのか。自分の行く末もそうだが、仕事仲間達のことを考えると実に悩ましい。歳の離れた仕事仲間に対する“親心”というか、年長者としての責任感が自分に生まれているのを実感していた。人を育てることに、久しぶりに意識的になった。

 

夏には職場を畳むことが決定した。
秋にかけてその引き継ぎと片付けに追われて、心身ともに酷い状態になった。肩こりは昔からだが、肩こりが酷くて頭痛になったのはあの頃だけだ。
自分は結局、退職することに決めた。社長は将来の幹部の地位を約束してくれたけれど、仕事仲間が辞めるなかで自分だけ残りまともな仕事ができるとも思えなかったので。上述の「社長の息子」氏が僕の退職に対し悪感情を抱き、引き継ぎ業務のどたばたで不愉快な目に遭ったのも、当時の災難の1つだろう。

仕事は辞めるが、役員の1人が僕を雇ってくれて、四国に移ることになった。これは自分にとって、そして我が一族にとってかなり大きな決断といえる。
今だって思い出せば「よく決めたなあ」としみじみ不思議に思うが、ともかく僕は四国に移住を決めたのだ、社命でもなく、四国への強い思い入れもなく。

心身の状態でいえば、この時期は本当に大変だった。
退職と引き継ぎに関する四国への長期出張(移動は車!)と、次の勤め先への挨拶や打ち合わせ、新しい住まい探し、そして静岡に戻ってきたら引っ越し準備(自分も、そして職場も)を行う。正直言って“しっちゃかめっちゃか”だった。

とても楽しかった高校の同窓会ですら、翌日以降に「人生を深く考える」ための燃料になってしまった。鬱病とは違う、もやもやした悩みがいつも脳に漂っていた。

 

ともかくそれでも暦は進み、11月には新しい住まいに移ることに。
次の仕事が始まる前に*2、思い切って「ガラパゴス諸島への旅」をしたことは、今年の、そしておそらくは人生の大きなトピックだった。

言葉はまるで通じない。太平洋を渡るのも、赤道を越えるのも、シュノーケリングも、南米も、連続した機中泊も、なにもかもが初めて。よくもまあ無事故で帰ってこれたものだ。でも、この旅の間は肩こりも頭痛も消えた。帰ってきてから頭痛に襲われることが無くなった。
子供の頃から生物が好きで、魚や爬虫類が特に好きだった自分としては、ひとつの“あがり”の土地ではある。行って良かった。マイベスト旅、と言い切ってしまっても嘘ではない。

 

そして今、新しい職場でのほほんと働きながら、四国での生活を楽しんでいる。
妙に広いアパートで、食料品の安さと、いくつか導入したハイテク機器(いつか日記に書こうと思う)に助けられて、それなりに快適に暮らしている。

今のところこれらの決断や変化に後悔はしていない。
勤めていた会社が実質的に潰れ、新しい就職先のために転居までした、そういう意味では無駄の多い1年ではあった。それでも、と今は思う。それでも上手く乗り切れて、そして来年から数年は、なんとか楽しくやっていけるのではないか。根拠を書くと長くなるが、そんな心持ちで新年を迎える次第です。
ちなみに1年程度勤めた会社の給料は、少しの貯金(定期預金と投資信託)を残して、転居や旅行で使ってしまった。金銭的には、ほぼ「プラマイゼロ」だろう。別に四国に移り住むための準備期間というわけではないけれど、結果的には「来たるべく四国暮らしと、ガラパゴス旅行のために働いた」感は否めない。

 

 

仕事の事ばかり書いている。まあ、そういう1年だったのだ。
静岡の暮らしでは、お気に入りのお店がいくつか閉店し*3、新しくお気に入りを探すよりは馴染んだお店に通うことが増えた年だった。寂しいけれど、カフェやケーキを好む人間にとっては受け入れなくてはならない時代の流れではある。

旅といえば九州旅行も楽しかった。
人生初九州、何を食べても美味しかったし目新しかった。軍艦島に最高の天気(ガイドさん談)で上陸できたことも良い思い出。うん、あれは良い旅だった。

 京都も良かった。大阪も楽しかった。
僕はもしかすると「趣味は旅行です」と言って良いのかもしれない。

休日が楽しみになる昼ごはん

休日が楽しみになる昼ごはん

 

 

 

紅白歌合戦ではAIKOが歌っている。
平成が終わるというのにまだ「カブトムシ」だ。新しいアルバムも出ているのに。
兄の家族が遊びに来ていて、父が打った蕎麦を食べ、賑やかに過ごしている。

 

湿った夏の始まり[通常仕様盤]

湿った夏の始まり[通常仕様盤]

 

 

それではみなさん、良いお年を。
総じて大変な事が多い1年でした。「日記のネタ」として吐き出した諸々も、日々の小さな良かったことも、どこかで誰かが興味を持ってくれたとしたら、それはとても面白い事だと思うのです。
2019年もまたそうでありますように。願わくば、自分と、自分の知っている人達と、知らない誰かが、もう少しだけ平穏でありますように。

 

ポケットに静岡百景

ポケットに静岡百景

 

 

 

 

 

 

*1:知らない人がいたら覚えておくと役に立つかもしれない。従業員が数人の会社で、1人が「やるべき事よりやりたい事を会社のカネでやる」と考え行動し、そして役員も上司も基本的に不在の場合、何もかもが滞るのだ。他の人達が素人だった場合、その疲弊具合は想像を絶する。

*2:辞めた会社の社長も、次の仕事の社長も、「借金してでも行け」と言ってくれた。退職日と就業開始日を調整してくれた事は感謝している。金銭の援助こそ断ったものの、彼らが肩を押してくれなかったら、台湾か韓国で済ませていたかもしれない。

*3:あの「つきさむ」は長野で始動中らしい。詳しくはつきさむのブログを参照のこと