ひとりで梅を煮る夜と、語彙が壊滅的な先輩との仕事と。

晩ご飯のあとに青梅を煮てみた。

砂糖少なめ、フランス土産の黒っぽい酢が隠し味。
こういうものを少しでいいから作っておくと、数日間は幸せになれる。そのまま食べるというわけでなくて、いつものヨーグルトに合わせる程度の小さな応用で自分を褒めたくなるから。
コンビニで買っておいたみかんゼリーに添えるのも良い。この場合は梅を先に食べると美味しい。順番が逆だと酸っぱすぎる。

ちなみに写真は無い。

 

 

今日は雨が延々と降り続いた。
仕事は順調、ただちょっと気になることがあった。


職場の先輩氏は漢字が壊滅的に読めない人だ。
今日は梅雨を「ばいう」と読む人を馬鹿にしていた。というか、笑いながら僕に報告してきた。
「いやそれは君が知らないだけです」と、思わず何のひねりもなく答えてしまった。

ここまで教養に欠けると、日常のちょっとした想像力不足が顕著となる。平たく言うと、同僚として仕事に支障が出る。
しかし性格だろうか、あまりにものを知らない人というのは、自信の知識不足を不安には感じないものなのだ。

これはもう偏見だとわかったうえで書いてしまうが、ある集団で“年下の大人”がいる年齢になってもまだ「だって、○○なんだもん」と言い訳(本人は説明だと思っている)をする人は、まず間違い無く語彙が乏しい。人生経験に裏打ちされた偏見で、幸いなことに遭遇率はとても低いのだけれど、しかし(不幸なことに)適合率はほぼ100%だ。

世の中には様々な“たまらない人”がいる。乱暴、わがまま、怠惰といった特性は他の様々な要因と合わせて何らかのキャラクターとして成立する、そして状況によっては何かしらのかたちで他人から認められる。組み合わせで評価が決まる。良かれ悪しかれ
しかしこの“語彙が乏しい人・不勉強を恥じない人”は、ただそれだけで完結する“たまらない人”であって、つまり「でも気の良い奴だよ」がフォローにならない迷惑さを放つ。
語彙が乏しくて褒められるといえば身体障害者のアートだが、あれはサポートする人達の努力と、読み取る側の協力が必要不可欠だ*1

少なくとも僕達の仕事は「梅雨」の読み方とは関係が無くて、というかそんなものは雑談なのだが、それでも梅雨を「うめあめ」と呼ぶ人と働いていると、なんだかとっても疲れるのでした。

「うめあめが ばいうを笑う 昼休み」

合掌

 

 

美味しい梅干し・梅酒の作り方と梅料理 (ブティックムックno.1148)
 
おうちで梅しごと

おうちで梅しごと

 

 

お題「今日の出来事」

*1:貶しているわけではない。そういう性質の芸術として成立しているということ。説明も何も無しでここまで評価を上げたわけではないし、それで何が悪いというのか?

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