陽の光を反射せずとも夜の星は輝いている

人間の身体には運動のための反射神経(脊髄にあるやつ)とは別に、情動や発言に対する反射回路が備わっているのではないか。大人になるとなかなか出会えないが、その反射回路が常に稼働中の人間が、世界には確かに存在する。

 

昨日の日記に書いた「職場の先輩」氏がまさにそれで、仕事であれ雑談であれ、基本的に優位な位置取りをするために会話に参加する。
僕や同僚が得意分野であるために行う助言、責任を担っているがために発する言葉、そういうものに反射的に屁理屈で反論する。
何かしら劣っている、間違っているからこそかけられた言葉なのだから、そうそう簡単に有効な反論はできない。だから普通は黙って従う、あるいは質問をする、状況によっては無視などが選択されるのだけれど、先輩氏は専ら、反論にもならない滅茶苦茶な発言をする。「この契約書ですが、ここは相手側社長の押印欄です。先輩氏の印を押す場所はありません」そんな指摘に、「いいよ、必要なのは中身、情報なんだから」と言葉を返す。じゃあその契約書を持って社長を説得するかというと(いいですか社長、大切なのは情報です。捺印なんて飾りです!)、きちんと再印刷し再提出するのだからたまらない。
この先輩氏のメールにあまりに誤字脱字が多いので添削をすることになって、僕がその担当なのだが、昨日は「t_kaさんの漢字変換は正確過ぎる。温かみが足りない」と言われてしまった。ビジネススキルとしての誤字・誤変換が、特に女性との取引・打ち合わせメールには必要とのこと。そりゃあすまんかった。

仕事はそれでもなんとか進行する。不思議と止まらない。
面白いもので、半年も一緒に働いていると、日常業務との兼ね合いや、中長期的な教育的視点というものが生じてくるのだ。
結局、「言い返す」ことで(彼の中の何かが)完結し、せいぜい次のアクションは「独断専行でやらなくてもいい仕事を始める」なので、クリティカルなタスクを少しずつ取り上げることで組織と自分の防衛ができてしまう。生産的ではないけれど、まあこれくらいは仕方がないのかな、と考える今日この頃である。酒乱の親父に従う妻子も、ドメスティックバイオレンスなパートナーと別れられない人も、まあこれくらいは仕方がないのかな、と考えるらしい。僕は給料が発生するだけマシである。

 

結局、自分のことしか考えない人たち

結局、自分のことしか考えない人たち

 

 

 

この先輩氏と、今日は暗くなるまで残業した。
職場を出る時に「ああ、星が明るいですね」と僕が言ったところ、こんな言葉が返ってきた。
「そうだね。春は太陽の活動が活発だから、星の反射も強くなるよ」と先輩氏。加えて「t_kaさんは昼間あんまり空を見ていないでしょ。事務仕事だけ集中している人はどうしてもねー。空はさ、きちんと見上げなきゃ」と(彼にとっては無駄に見える)僕の仕事、つまり帳票業務や役所とのやりとりや上司への報告を揶揄する。

春に太陽活動が活発化するとは初耳で、太陽の光を他の恒星が反射していることもびっくりで、なんというか“マウントを取る”にしても滅茶苦茶なのであった。

自然科学への興味も知識もまるで無いと自他共に認め、時と場合によってはそれら興味を持つ人間(例えば僕)を酔狂だと評する人間が、いきなりそんな事を言うので、こちらとしては面食らってしまう。
「いや大気が澄んでいて…」とまでは言ったものの、なんだか無駄なやりとりな気がして会話を止めてしまった。たぶんこの太陽活動と宇宙に関する誤解を抱えたまま生きていくわけではなくて、今回の発言も脳にぽかっと浮かんだ科学的パーツ「春、太陽、星、反射」を組み合わせただけの反射的言動なのだろう。だから特にケアしない。

 

脳男 (講談社文庫)

脳男 (講談社文庫)

 

 

ここまで酷くはないだろうが、しかし「何も考えずに言葉を紡ぐ人」は珍しくない。少なくともTwitterにはそんな人が溢れているし、Instagramに至ってはそういう画像を並べる人が、きちんとそれなりの「いいね」を得ている。
いや、僕だってこの日記を書くにあたり、まず読み返しはしていないし、書きながらの推敲も無い*1。大脳をきちんと使っているとは言い難い。ほとんど自動化されている感はある。

みんな、それなりに「自分に素直に」書いているのだ、画像を載せているのだ、言葉を発しているのだ。僕だって先輩氏だって。

ただその「素直」になる「自分」が、単に自身の感情を肯定するだけなのか、または感情に加えて内なる論理や知識まで動員しているか、という違いなのだと僕は考える。
先輩氏はよく「自分に嘘をつきたくない」と言うが、その“自分”の90%くらいが感情で構成されているのではないか。
だからこそ、文章化すると怖くなるくらいに*2その言葉は支離滅裂なのだ。でも本人は気にしない。僕だって慣れて適応する。どこかおかしい。それでも世界は回っていく。

 

そりゃあ仕事の仲間としては疲れる相手ではあるけれど、全体を眺めると面白くなってしまうのが困る。
面白くて、しかし疲れる。これはもう、確実に身体に悪い。つまらなくて疲れるよりも、質が悪い。
そういう不健康な日常をこうして文章にすることに意味は無いが、超大盛りラーメンのチャレンジ報告みたいなものなので、日記としては真っ当なのだと考えたい。

 

お題「これって私だけ?」

お題「今日の出来事」

愛されすぎたぬいぐるみたち

愛されすぎたぬいぐるみたち

 

 

*1:文章単位での書き直しも、まず行わない。上から順番に書いて、書き終えたら画像を貼って、カテゴリーを設定して「公開する」ボタンを押して終わりです。

*2:ジャパニーズホラー映画や漫画で描かれる日常の崩壊は、たいていこういう奇妙な言動が前兆となる。「今思えば、あの時に既に始まっていたのだ。先輩氏が星の光について奇妙な話をした、あの時から…」

t_ka:diaryは、Amazon.co.jpを宣伝しリンクすることによってサイトが紹介料を獲得できる手段を提供することを目的に設定されたアフィリエイトプログラムである、Amazonアソシエイト・プログラムの参加者です。