ごはん会でした

 

普段は遠くにいる社長や役員が職場に集まって、経営方針など難しい話をして、夜はごはん会。昔ならば居酒屋で飲み会なのだろうが、お酒を飲む人間が少なく、かつ主賓が4月入社の新入社員なので、美味しいご飯を食べることに。

僕もお酒は好きではない。だから飲み会よりも食事会のほうが楽しい。
飲むと気持ち悪くなってしまう。ワインの一部など、美味しく思うものもあるのだけれど、アルコールに弱い体質なのだ。
ビールは希釈して安全濃度にすることでようやく飲用に適する状態になる。ほぼグレープフルーツジュースのビールは不思議な美味しさがあって良いとは思う。9割がトマトジュースのビールも良いが、それでも酔っ払ってしまうし、それならば飲まないほうが快適だ。

自分はこの「快適」という観点が重要だと考えている。
この数十年の間、お酒を飲まない若者が増えていると言われてきた。
少なくとも、「会社の集まりでざっくばらんに交流する」状況において多くの人にとって酩酊は快適さに欠けるのではないか。酔っ払って帰って、服をその辺に散らかして風呂に入って…みたいな行動をフォローする前時代的に献身的なパートナーも近年は激減した。それに「飲まなきゃ腹を割って語れない」なんて理由付けは、全員が飲むのが前提の話だ。
それに、晩酌して風呂に入って寝る、以外に時間の使い途がある人が夜にお酒を飲むのは(よほど酒に強くない限りは)何かと差し障りがある。

 

とはいうものの、やはりお酒が飲めることは羨ましい。
世の中の美味しいものは、たいていお酒が対になっている。お酒が前提の料理は多いし、ご馳走の多くはお酒の味を引き立てる。
ある種のチーズとワインのような、片方だけ楽しむわけにはいかないものも多々ある。
僕はコーヒーが大好きだ。でも、良いお酒を飲んでいる人のような、心の底から高揚するような楽しみかたはできない。つまり、しみじみと「これは美味しいコーヒーだなあ、このケーキにぴったりだ」と思うことはよくあっても「くーっ!これは凄い!大将もう一杯!!」と盛り上がる経験は皆無なのだ。

自分が食通には絶対になれないだろうとどこか諦めているのは、この「酒文化」へ浸れない体質と気質が原因だと考える。
生きている間に「喉に装着するアルコール無毒化デバイス」や「経口酒精分解ナノマシン」が実用化しないだろうか。あるいは「味わいそのままノンアルコール・シングルモルトウイスキー」の発売を望む。

 

もし僕らのことばがウィスキーであったなら (新潮文庫)

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