帰りに書店へ寄る。引き出しを開けて補充する。

仕事帰りに書店に寄った。

新刊漫画コーナーで、変な中学生に遭遇した。
棚に差してある最後の1冊を取ってから、台の下にある引き出しを開けて、同じ漫画を何冊か補充していた。
お店の人に注意されていたが、何が悪いのかぴんとこない感じ。
ふてぶてしいというより、書店にまるで慣れていない、それこそ初めて入るファストフード店で使用後のトレイをどこに返せばいいのか(それともテーブルに残すのか)わからない感じだった。

 

ガケ書房の頃

ガケ書房の頃

 

 

 

かつて書店という場所は“子供を連れていく場所”だったと記憶している。本が好きかどうかは別として、動物園や遊園地と同様に「本屋に行ったことが無い子」はいなかった。街の子はもちろん、田舎で周囲に書店が無い土地でもそう。
ちなみに僕は自転車で“街の本屋さん”まで通っていた。今はもう無いが、あれは良い娯楽だった。
最近は書店に行かないまま小学校高学年、あるいは中学生になる子も多いと教師をしている友人が言っていた。
課題図書はどうするのか、Amazonか、図書館か。

しかしこれだけ書店が減り、残った店も知の集積というよりレンタルビデオ店の付属施設みたいになっていると、それもまあ仕方がないのかもしれないと思ってしまう。わざわざ連れていく“有り難み”を親の側が感じていなければ、そしてその親自身が本に興味を抱いていなければ、たまたま行動範囲に書店が無ければ1度も行かないまま成長することもあるだろう。そういう子供が最初に、おそらく興味のある漫画の新刊を発売日に買うために訪れたら、挙動不審になるのもまた当然だろう。店員が補充していたのを見て、自分もまたそうしなければと考えたのかもしれない。


しかしまあ、中学生がびくびくしながら、こうして社会に出ていく姿というのは良いものである。ああ、頑張っているなあと応援したくなる。

つまり僕は老いたのだ。数年後には高校生だって孫のように眺めているだろう。いずれライブハウス前でだらだらする若者も、かわいく思える時が来るだろう。
自分にはもう、そういう場所はほとんど残されていない。でも書店は楽しいのだから、世界は本当に豊かで優しい。
いろいろ大変だけれど、総じて良い時代だとは思う。もっと良い時代にしなければ。

 

空色勾玉 (徳間文庫)

空色勾玉 (徳間文庫)