長く愛用していたウールの靴下に、とうとう穴が空いてしまった。
くるぶしの後ろ側という不自然な場所。
春に購入したブーツとの相性が悪かったのかもしれない。指先や、足の裏にあたる部分は無事だから、その点は残念。
しかしこの靴下、記録によると*111年前に買ったもの。十分に長持ちしたと言っていいだろう。おそらくは、人生で最も長く付き合った靴下になる。
登山用品のお店では定番の「スマートウール」というブランドの、いちばん軽装のもの。トレッキング用。それでも平地ならしっかりと温かいし、夏場だって快適に履ける。冷え性や立ち仕事の友達に教えて、とても喜ばれたこともあった。
徒歩旅行でも、締め付けが弱いのにずれない、そして蒸れない、クッション性がある、という特性は役に立っている。
洗濯に耐え、乾燥が速いのも良いところ。
最近は種類がとても増えた。シャツやランニング用のショート・ソックスもあるらしい。
厚いパイル地だから靴のサイズが合わなくなる時があること、デザイン上、スニーカーなどでちょっと変な感じになってしまうところは難点か。
もともと、立ち仕事の多い仕事(工場を走り回る、実験室を歩き回る)のために買った。他の靴下も色々と試したものの、最後はこのスマートウール製品に戻ってきている。機能性素材とウールの混紡で、山歩きに対応した靴下は多いものの、日常使いとの相性ではこれがいちばん。
きっと、また同じ色と形のスマートウール製品を探して履くだろう。
困ったことに、ここまで保った靴下は、簡単に捨てにくいのだった。何かに活用することもできないが、ぽいっと捨てるのもなんだか気が引けてしまう。
ギリシャ神話だったらゼウスが哀れに思い天に上げただろう。「秋の終わり、西の夜空にひときわ輝く大きなL字が見えます。靴下座です」とプラネタリウムで解説される。
どこかの神社で供養祭をしていないだろうか。節分の夜にみんなで靴下を焼くのだ。それくらいの名残惜しさがある。
自分が高位聖職者だったら、文句なしに祝福する。奇蹟認定してもいい。
以前、靴下の綻んだところ(やはり、くるぶしの後ろ側だった)に、薄いスウェードを縫い付けていた人がいた。西洋人の旅行者で、鞄も帽子も補修をして使い続けているような、旅慣れた感じの人だった。目の詰んだ布地のジャケットを着ていて、そのジャケットの肘の革パッチだって装飾ではなく防護と補強として機能していて、あそこまで行くと格好良いものだと目が惹きつけられた記憶がある。
自分がそこまでして補修と補強をして使い続けることは、たぶん無いだろう。靴擦れも怖いし、家族に何か言われるのも面倒だ。
しかし捨てられない。
穴の空いた靴下に感傷を抱くとは、11年前の自分には想像もできなかっただろう。今の僕でも、少し驚いているくらいだ。