映画「GODZILLA怪獣惑星」と、ピェンロー。

今日はずっと家にいた。
読書を趣味にしていて、読みたい本が積んであると、外に出なくても平気になってしまう。身体には良くない。

 

 



昨晩は映画「GODZILLA怪獣惑星」を観てきた。
たぶんTVで「シン・ゴジラ」を放映した直後だからだろう、あれの続編というか、シン・ゴジラこそゴジラの起点だと考えている若い人達を何組か見た。つまり、見る前には「庵野の作品とは」と語り、そして見終わった後は「庵野風味が薄い!」と騒ぐ。
オタクの不遜さ、社会性の無さを持ちながらもオタク的な基礎教養に欠ける若い男の子達、こういう映画のレイトショーでは必ず遭遇する。僕だって下調べもせずに映画館に赴くけれど、それでも興味を持った作品がどんなものかは(意識して遮断していない限りは)情報は入ってくるものだし、知らなければ映画館にまで観に行かない。

映画自体は、それなりに面白かった。満足した。
3部作の1作目だからちょっと物足りないし、この場面なら次はこうなる、という先が読めてしまう部分も多い。どちらかといえば、世界観や状況を楽しむ類の映画だと思う。恒星間航行技術がある人類と対峙するゴジラ、という図式を作り上げながら、きちんと娯楽作品的に主人公達が苦悩し、努力し、全力で戦うストーリーになっているのは立派だと思う*1。その上で、主人公達の言動や頑張り方が、若者向け日本製アクション映画的な陳腐さとなるのは、まあ仕方がないだろう。
昭和のゴジラのあれこれを強引に混ぜ込んだ冒頭の状況説明も楽しい。マニアをにやりとさせるだけでなくて、変な怪獣や宇宙人が登場することで“ゴジラシリーズの空気”を醸し出させることに成功していた。みんな大真面目なのに、メカゴジラとかへドラとかが出てくるのが、怪獣映画の味わいというものだろう。

 

しかし未来のIT技術が使えるとなると、状況説明がとてもわかりやすくなる。つまり、透過あるいは立体表示のモニターに“戦況”や“構想”が全て(PowerPoint的に)表示される。この映画はそれが過剰過ぎるくらいで、つまり頭を空っぽにしていても楽しめる。CGアニメらしく画面も綺麗に整理されているし、全体的に親切設計な映画だった。

 

 

 



映画といえば、先日、友人の姪と甥(高2と中1)を連れて、映画「氷菓」を観たのだった。友人に頼まれて2人を映画館に送るついでに、話の流れで自分も鑑賞することになったのだ。数奇な人生と言えるかもしれない。

この映画はちょっと変だった。
僕は原作が好きで、何度も読んでいる。
だから改変部分が気にくわない、とか役者の雰囲気が想像と違う、という訳ではない(登場人物が老けていて高校生には見えなかったが、でも美男美女なのですぐに慣れる)。
変なのは、台詞について。
場面の解説、人々の心情、状況の変化、何であれ台詞で説明するのだ。こんなにも「説明台詞」が充実した映画も珍しいのではないか。
何かの作業をしながらでも楽しめそうな映画だった。朗読劇とかラジオドラマを想像する。そんな作品を映画館の大スクリーンで鑑賞する意味があるのだろうか、とずっと考えていた。
見た目はティーンエイジャー向けのキラキラした、言ってしまえばありきたりな青春映画なのに、この説明台詞の連続が別の趣、実験作的なものを醸し出していた*2。いや、不思議な作品だった。

 

氷菓 (角川文庫)

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いまさら翼といわれても

いまさら翼といわれても

 

 

 

さて今夜の晩ご飯は、ピェンロー妹尾河童さんのエッセイで有名になった素朴な鍋だ。
白菜を山ほどいただいて、消費する必要があったので、作ってみた。
要は豚肉と白菜と干椎茸で作る鍋。こういう料理は、きちんと決まり事を守らないと美味しくならない。つまり、「せっかくだから豆腐を入れよう。さっぱり食べたいからポン酢にしよう」と言い出すと、それは白菜多めの単なる寄せ鍋になってしまう。だから、言い出しっぺである僕が下拵えから行う必要がある。
作り方は各自が調べて欲しい。
白菜を大量に食べることができる、とても美味しい鍋料理。僕は焙煎のしっかりした胡麻油を使ったほうがこの料理には合うと思う。

 

河童が覗いたヨーロッパ (新潮文庫)

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河童が覗いたインド (新潮文庫)

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河童が覗いたトイレまんだら (文春文庫)

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河童が覗いたニッポン (新潮文庫)

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お題「今日の晩御飯」

お題「最近見た映画」

今週のお題「得意料理」

*1:つまり、軌道上から超兵器ひとつでゴジラを殲滅できない図式になっている

*2:しかも致命的な棒読みも楽しめる。感情移入を阻む要素が多い作品でした。