パンクとミズウオ

台風が去ったあとの海岸に行ってみた。
堤防沿いの道路を自転車で走る。

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20分ほど走ったところで、タイヤがパンクしてしまった。
ルアーというのかベイトというのか、針がついた疑似餌を引っ掛けてしまったのだ。かなり太い三つ叉の針で、しかも返しが付いている。自転車のタイヤを貫通するなんてこともあるのだ。針がちょうど立った状態だったのか、溝にでもはまって固定されていたのか。

パンク修理をしている時は、運が悪いと思っていた。
でも、よくよく考えると、この針を捨てた人が悪い。繰り返すが、タイヤを傷つけるほどの針なのだ。人だって傷つける。

釣り人の多い道には、こういう釣り道具の残骸がたくさん落ちている。見る度に残念に思う。

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そういうマナーの話とは別に、釣り・フィッシング趣味に関しては思うところがある。
僕は、釣り人の車や道具やブランドの謳う「自然と寄り添い、魚と真剣勝負しています、自分達は海と川の理解者です」みたいな言葉を信用していない(四輪駆動車のスペアタイヤカバーや、リアウインドウに貼るステッカーには、そういう英文ポエムが書かれている)。
別に今日の出来事があったから、というわけではなくて、以前からそう考えているのだ。
自分も釣りを楽しむことがあるけれど、あれは基本的に「命をもてあそぶ」からこその娯楽なのだ。ミートフィッシャーでもスポーツフィッシャーでも、それは変わらない。魚にも自然にも、まるで寄り添っていないし、人間側が圧倒的に有利なのだ。別にアウトドアブランドや釣り道具に添えられた言葉が釣り人の認識そのままではないにしろ、そういう認識があれば、自ずと自分を飾るものや行動も変わるのではないか、そう考える。
これは、真剣かどうか、とは違うレイヤーの問題なのだとも思う。
そして、「命をもてあそぶ愉しさ」を自覚したうえで、人は魚を釣る行為を楽しめるはずだ。少なくとも大人の趣味というのは、そういうものだろう。

マナーとは別、と書いたものの、やはり釣り人達が、自分達の立ち位置を見つめ直せない限り、ゴミは放置するし針や糸の行く末だって気にしないままだろう。身を飾るものは、心の外形であり、行動に繋がるのだから。

登山だってキャンプだって、それからカヌーだって、昔に比べたらずいぶん環境に対して配慮するようになった。
というか、まず「自分達は侵略する側だ」という前提が常識となっている。
釣りに関しては、どうにもその認識が足りないまま今に至っている、ような気がしてならない。

 

パンクはあっという間に直せたが(こういう時、片持ちフォークは本当に便利)空気入れは車のトランクにある。というわけで、自転車は折り畳んで転がして歩く。
なにしろ暑いし、けっこうな距離を歩いた。つい、そんなことをぐるぐる考えてしまう。

 

 

 

 

 

そういえば、自転車をとりあえず車に戻したあとに、砂浜に下りたところ、ミズウオの死骸を見つけたのだった。
写真は撮っていない。
たぶん2尾ぶん、かなり傷んでいたが、立派な頭部はそのままだった。いつか食べてみたい魚。鍋にすると溶ける、と本には書いてあった。
それ以外にも、ちょっと見馴れない、鰺や鯖や鯛のような、いわゆる子供が描く“さかなのかたち”から外れた魚がたくさん打ち上げられていた。さすが駿河湾

波打ち際は怖くて近寄れなかったが、魚の死骸だけならばかなり陸寄りにあったから大丈夫。カモメやカラスにとっては臨時のご馳走だろう。