さようならの日に花火を見てきた

突然だが、本日で今の勤務先はおしまい。7月末で退職となる。
実際は前々から決めていたことで、今日は慌ただしいながらも平静な気持ちで職場を後にした。

職場の人間関係は良好。仕事だって面白い。
でも、自分とは相容れないいくつかの物事がどうにも心身に悪かったのだ。心療内科に通うような事態にはならずに済んだけれど、それ以外の体調不良はここ数年続いていた。

 

 

働くって何だ―30のアドバイス (岩波ジュニア新書)

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今のところ後悔はしていない。
もちろん不安は大きい。が、いきなり飢えて死ぬことは無いはずだ。
少なくとも、あの「自分達の常識を疑わない」集団のなかで仕事を続けるよりは、健康に良いだろう。
明確なルールに従って働く、あるいは効率化を追求し創意工夫する、といった働き方が、しばしば「昔からの職場の常識」、もっと言うと彼らの能力や認識次第で簡単に覆される。それは、僕の属した下っ端の地位では、なかなかに辛いものがあった。「Excelの自動処理は手抜きだから『改善提案』ではない」って、なんだそれは。
いや、そういう不満を上司に伝えた事もあるのだけれど、「自分のスタイルを貫けばいいじゃないか」で済まされてしまう。しかし僕は思うのだけれど、「業務時間外に働くことは当然。特に若手は、安全活動などの主業務以外の取り組みを始業前に進めることでワークライフバランスを向上させよう!」と、何の迷いもなく語れる人達の前で「いや、自分は労働法を守ります」と宣言したところで、待っているのは異物排除としか思えなかったのだ。何度もそういう人を見てきたし、そうやって辞めていった“外の人達”も多かった。
そして今回は僕がその異物となったわけだ。

とても良い人達で、いつも冗談を言い合っていた。それでも(だからこそ)、その閉鎖性は、どうにも僕には合わなかったのだ。
きっと僕が突然に、そして次の仕事も決まっていない状態で辞めた理由も、彼らには理解できないだろう。
先々週に、僕と同じような理由で辞めた人がいたが、その人のことも「変わった人」扱いだった。僕ならば、自分の勤め先で、生活の心配も顧みず急に辞める人がいたら、まず自分達の仕事を疑うと思うが。

ここまでがーっと書いてしまったが、しかし辞めた理由はそれ以外にもいくつかあって、賃金の問題とか通勤時間の長さ、それから今関わっているプロジェクトが解散して勤務時間などが激変すること、等々、いくつかの原因があっての決意なのだった。どれかひとつ、あるいはふたつならば我慢できた。まとまったことは、不幸だったとしか言いようがない。

 

何はともあれ健康第一である。
しばらくのんびりと、身体を休め、心を休める。
せっかくなので、旅行もする。それから、溜まりに溜まった工作や手芸やその他趣味に手を付けていく。
実際、ここ数週間は、読書にせよ何にせよ、平日に無理をして趣味を進める気がまるで起きなかった。「仕事を辞めてから、のんびり愉しもう」と、全て「8月のおたのしみボックス」に放り込んでいたのだ。
明日からその概念上の箱を開けて、整理し、ゆっくり楽しもうと思う。今日は妙に疲れた。まずは寝る。全てはそれから。

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