ぬるくて丁寧なコーヒーと、アレンジされたポップコーン。

仕事帰りに、どうしても「良いコーヒー」を飲みたくなった。
コンビニのカップ入りコーヒーではない。ファストフード店で買うのも違う。
そして、帰宅して自分で淹れる、というのもまた今日の気分ではなく、色々と考えた後に、お気に入りの珈琲専門店へ寄る。

 

この店は、本当に丁寧な淹れ方をする。
凝りすぎて無用な手間をかけているきらいがあるが、でもコーヒーは美味しいから問題無い。何しろ精密天秤の上でネルドリップするのだから、徹底している。本当に少しずつお湯を落として、ミリグラム単位で量を(そしておそらくは速度を)制御している。

たぶん、地元で飲むコーヒーではトップクラスの美味しさだろう。
ただしぬるい。その温度も十中八九、狙い通りのものなのだと推測するが、それでも僕の日常感覚からすると、物足りない。
温度と味が両立しない領域が、店主の求めるところなのだ。

でもゆっくり味わって飲むと、これはこれで気持ちが落ち着く。
鎮静作用、という単純なものではない。深呼吸に近いだろうか。

コーヒーを飲みたくなったきっかけの、職場でのつまらない出来事の、その嫌な気分が吹き飛ぶなんて奇跡は起きない。今、思い返しても嫌な気分が蘇る。
それでもこのコーヒーは、飲んで良かった。お店に寄れて良かった。しいて言えば、ストレス発散手段みたいなきっかけで楽しんでしまったことに後ろめたさがある。もっと前向きに、あるいは頭が空っぽの時に楽しみたかったのに。

本当のところ、コーヒーにしろ何にしろ、素敵ならばなおさら、良ければ良いだけ、つまらなかった出来事やストレスの“埋め合わせ”に使うのは勿体ないと思う。
以前、お茶を飲みながら友人とそんな話をしていたら、お店の人が「自分はそういう時のために、ポップコーンを用意している。普段は食べない。嫌なことがあった時だけ、塩味のポップコーンを買ってきて、好きな味付けにして楽しむ。カレー粉と胡椒、それに塩をさらに追加したり、クレイジー・ソルトを身体に悪そうなくらい放り込んで袋を振って、もりもり食べる。でもたいてい、半分残す」と言っていた。
ポップコーンというのは良い発想だなあ、と今思い返して感心している。価値が低くて、手に入りやすくて、手を加えやすい。無茶をしても、それほど害も無い。普段は食べない。余っても、翌日に楽しめる。

今度はポップコーンを試してみよう。
コーヒーは自分自身の為にだけ楽しむ。どうせ消し去れないストレスには、ポップコーンを美味しくアレンジするくらいが丁度良い。

 

 

 

あとは野となれ大和撫子

 全然関係無いけれど、読み始めたら止まらない。面白い。
寝不足を避けるために週末まで封印する。電子書籍は封印が難しいが、そこは断固とした決意で。

あとは野となれ大和撫子

あとは野となれ大和撫子