知ったかぶりの人

職場でたまに話す女性社員さんが、とにかく「知らない」とは言えない質で、それに気付いてからはなんだか彼女の“嘘”ばかり記憶に残ってしまって、雑談の内容がうっすらとしか覚えられない。

例えば今日は「ラプサンスーチョン」というお茶について話した。僕はあの臭いお茶が大好きで、でも安いものではないし、どこにでも売っている訳ではないから…という話題。そういえばカルディにも無いねー、田舎ではまずカルディだよねえ、なんて会話になったのだが、その際に「えー、百均にあるよ。ダイソーに売ってる」と彼女が言うのだ。

まさかまた口から出任せだろう、と疑ってみたものの、万が一ということもあり、今日は仕事帰りにダイソーに寄ってみたのだった。
ダイソーに売るようなものならば、香り、風味ともに薄く、がぶがぶ飲むのには適しているのではないか、という目論見もあった。

さんざん探したが、売っていませんでした。
無駄足だったし、思わず針金とか麩菓子といった、特に必要ではないものを購入してしまったため、知ったかぶりの罪は重い。きな粉味の花林糖、というよくわからない甘いお菓子まで買ってしまった。

 

 

この人はただ知識不足を反射的に隠そうとするだけで、悪気は無いように見える。僕からしたら、ラプサンスーチョンなんて知らなくても恥ずかしくは無いと思うのだが、たぶん恥ずかしさとは別に、自動的に言葉が生まれるのだろう。

反射的に、というと、何であれ「違う」と反対意見から会話を繋げようとする人がいる。「ちがっ」くらいの、その後の言葉がほとんど反論にもなっていない、でもとにかく否定しないと会話に繋げられない人達。あれもたぶん、癖の一種だろう。「いや、それはね…」とか。

 

そういえば上に書いた「しったかぶり」さんは、加えて「まず自分の事を伝える」さん、でもある。
つまり、紅茶についての会話が始まったとしたら、まず自身が言うべきは「私は紅茶を飲まない」である。犬の多頭飼いの話題ならば、「犬より猫派であるが、チワワは可愛い」だ。
最初は、「なんでこの人は他人の会話に、自己紹介で参入するのだろう。オムレツのバリエーションの話に、この人の卵アレルギーがどう関わるのだろうか」と面食らったものだけれど、今はもう慣れてしまった。それに、その後の会話にほとんど影響しないし。

これも反射行動的なものだとは思う。しかし冷たい言い方をすると、僕はこの「癖」に対しては、“育ちの悪さ”を感じる。

この唐突な「自分語り」は、話の内容にほとんど繋がっていない。だたのアピールである。それも、他人にとってはどうでもいいアピールだ。「そうなんだー」と言ってもらいたい類の話、と言い換えることもできる。まあ、幼い自己顕示とも言える。
意識的なものか、無意識でしているのかはわからないけれど、自身を飾るために幼さ弱さを活用するのは、大人としてはどうにもつまらない。褒めて認めることがまず求められる人間関係は、対等とは言えないだろう。習慣となってしまっているのは、昔からの積み重ねだ。自己顕示欲や承認欲求が透けてみえる話し方をたしなめる大人はいなかったのか。
会話は自分自身と、話し相手、そして周囲の人間のためにするものなのだから。

 

文庫 平気でうそをつく人たち 虚偽と邪悪の心理学 (草思社文庫)

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と、小難しく文章を綴ると怖い感じになってしまうが、この種の「ちょっと引っかかる知人」は、日常生活の支障にはならない。
素敵な個性、とは言い難いけれども、人によっては魅力とさえ感じるかもしれない。

日常生活に支障がある個性、といえば今の上司がそれで、この人はどんな話題でも目が笑わない。
生まれ故郷である京都のバスについて悪口を言う時は、笑いながら目だけが真剣、という怖さである。
ちょっとした面談や仕事の相談の際にも、基本的に笑顔だが目だけがいつも同じ、なのだ。これは怖い。どこまで話して良いか判断できないし、言っている内容の底の裏まで勘ぐってしまう。
結果として、仕事に僅かながらの悪影響が出ていると思う。職場全体のパフォーマンスを下げているのではないだろうか。
この人については色々と書きたいことがあるけれど、もう寝る時間だから止める。
明日は映画の日。そして年度元旦。年度元旦、という表現は前述の上司が教えてくれたが、何しろ目だけが真剣だから、冗談ではない可能性を考えてしまう。困ったものだ。