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ミュシャはコンピューターグラフィックスでしょう?

たまに社員食堂で会う元同じ職場の人が、面白い事を言っていた。
ミュシャってCGでしょ」
思わず笑ってしまった。そうか、そう見えるか。

この人は、虚言癖というよりも、よくわからないまま言葉を発するきらいがある。9割は偏見や思い込みだが、稀に面白い発言が混ざるから楽しい。

以前、「ネバーエンディング・ストーリーはSF」と言っていた。これはつまり、特撮の類を使った映画は全てSFだと思っていたからなのだが、もちろん指摘してもそう簡単には直らない。しかしSFマニアの人は一般に憤死しやすい体質だから、どこかで耳に入ったら大変だ。

「女は男よりも痛みに強い。お産に耐えるために、そういう風になっている」というのも、面白い認識だと思う。どうやって調べたのか。「男は並列処理的な仕事が苦手」などは、主語が大きいのに照れないところも良いではないか。

なんとなく、自身の“納得”だけで理屈を採用している人ではある。それで世界が説明できるのならば、人類はそろそろ火星へ植民し、科学と宗教は統合されているだろう。
ともあれ、竹内久美子氏の本に騙されそうな人ではある。

 

そんなバカな!―遺伝子と神について (文春文庫)

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女は男の指を見る (新潮新書)

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この人もそうだが、今の若い人と、自分が若者だと考えている人のなかに、他人に親の話をする時に「おとうさん、おかあさん」と呼ぶ人がいる。昔より増えている感触。
これについては、指摘すると(といっても雑談の中で笑いながらの話題であり、だからどうしろ、という話ではない)、まずは「本当に改まった場では、きちんと父・母と言えるから、問題無い」と返ってくる。やや疑問だが、本人が出来るの言うのだから否定しない。

それから、この「おとうさん・おかあさん」という言い方こそがフレンドリーな物言いであり、知り合いに使うのはむしろ正しいのだとと言う。敬語なんて冷たい形だけのやりとりよりも、ピュアで本質的なコミュニケーション手法なのだと。
そして、両親と仲が良いからこそ、あえてそう呼ぶべきなのだ、とも。

なるほどねえ、と言うものの、同意はしない。
なんだか「ぶっちゃけた話こそ本物」みたいなノリである。そういえば、「欧米先進国には敬語は無いのだ。英語は相手によって表現を変えたりしない」と言っていた。戦争映画は観ないのだろう。あるいは、字幕は嫌いなのかもしれない。

 

と、ここまで書いたところでお風呂が沸いた。風呂の水というかお湯は沸騰する訳ではないのに「沸いた」と表現するのは、やや独特だと思う。少なくとも台所では言わない。