読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

火おこしができない現代人、という話。

サイエンス 生活

昨日、あるブログでこんな文章を目にした。そのブログでの主張ではなくて、そういう事があったよ、という話なのだが(ブログ自体は示唆に富む、とても僕好みのお話でした)、なんだかよく聞く話で、ここに思ったことを書いておこうと思う。

「昔の人は火おこしができたけど、自分はできない。

退化している」

 

cimacox.hatenablog.com

この場合の「退化」はたぶん誤用なのだが、それはさておく。

昔の人は火おこしができた、というのは事実だろう。
そして僕達は、例えば登呂遺跡の縄文時代体験学習で試みても、そう簡単に火は付けられない。なるほど。
ライター持ってるじゃん、という話になるとちょっと違うのだが、でも、これはあえて雑な話にしているだけだと思う。

 

実際には、僕達は火を付けられる。
最初は苦労する。でも、火には燃えるものと、酸素(まあ、空気でいいです)が必要だと知っている。理科が苦手だった人でも、日常生活でライターやガスレンジを知っているのだから、1日か2日試行錯誤すれば、火は必ず作れる。別に木の棒をくるくる回さなくとも、別の方法で目的は達成する。

そして昔の人は、それができない。
ライターを渡されても、火をつける理屈に辿り着くまで、ライターを使いこなすまで、現代人が着火する以上の苦労をするだろう。魔法だと勘違いするかもしれない。そして、ライターは彼の手元には、絶対に無い。

「火とはどういうものなのか」の知識量、それも正しいであろう知識があれば、火は点けられる。その逆は無い。考えてみると、古代人だってゼロから全員が摩擦で火をつけられるようになった訳ではない。
もし古代人にも現代人にも“まるっきり初めての無人島”に放り込まれたら、多くの点で現代人が有利だろう。可能性の問題とも言える。

そういう意味では、僕達は進歩している。
なんとか手元の賭け金を失わず、この数千年か数万年を過ごしているのだ。この先に破滅があったとしても、でもいちおう、今のところは進歩している、といって良いのではないか。
未来において北斗の拳みたいな世界になったとしても(大変そうだ)、あるいは脳髄だけ培養液に浮いていてバーチャルリアリティーの世界で暮らす未来に到達したとしても(映画だと大抵、問題が発生する)、それが今の人類にとって「間違った道、結果的に進歩ではなかったのだから、だから人は進歩していない」とはならないだろう。種や文明は、最終決算日だけが勝負ではない。


簡単に言うと、理想をどこに置くのか、という話になってくるのかもしれない。
人類が適切な人口と文明規模に落ち着き、がつがつしないで自然に寄り添う暮らしを夢見るロハス人にとっては、丁度良いサイズの核戦争こそ進歩の到達点。僕にはそうは思えない。

そして、今を生きる僕にとっては、火をつける道具に溢れ、やろうと思えばちょっとした失敗の後に昔のやり方で火をつけられる現代は、それなりに進歩に“成功”しているし、今後もこの方向で慎重に行こうぜ、って思えるのだ。この身体と脳のつくりで、他に何が達成できる?とも思うし。よくわからないながら、可能性、選択肢の多さはなかなかのものじゃないか。
楽観や悲観という問題ではなくて、他に進歩のかたちを上手く思い浮かばない、それだけの話といってしまうと、身も蓋も無いのだが。

 

文庫 銃・病原菌・鉄 (上) 1万3000年にわたる人類史の謎 (草思社文庫)
 

 

 

知ろうとすること。 (新潮文庫)

知ろうとすること。 (新潮文庫)