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お茶のお稽古

久しぶりに茶道部へ参加。すっかり手順を忘れていたが、それでも褒めてくれるので、「○○道」の師範というのは凄いと思う。
大人が大人相手に教養を伝える類の習い事では、威張ったり暴力を振るったりできない(もちろんそうする人もいるし、それを喜ぶ人もいるが、あまり一般的ではない)ので、上手に褒めるし、ミスの指摘もとても的確で、嫌な感じがしない。つまり、中学高校の運動部、あれは何だったのかと思えてくる。

「ああいうやり方でないと到達できない境地がある」というのは一理ある、とは思っている。でも一理しか無い、とも言える。とりあえず「部活はしんどいものだ。先輩は厳しく理不尽で、顧問は怖いものだ」と思い込んでいる子供達に、厳しさと理不尽と恐怖をもって指導に当たるというのは、ずいぶん卑怯な話だと僕は考える。例えば野球部に対しては「守備の間ずっと声を張り上げなくてもいいんじゃないか。プロ野球の選手はそんな事していないよね」とか「甲子園を目指す以外の楽しみ方もあるかもしれない」といった提案をするのが大人の役目だろう。あえて狭い世界だけを示すなんて、大人同士だったら詐欺師か宗教の勧誘か、社会性に欠けたワンマン社長である。あるいは、単なる手抜きだ。

芸能人が作った俳句を師範が添削したり評価するバラエティ番組を、母がよく観ている。あれは、芸能人のリアクションや、階級制度は特に面白くない。師範の褒め方、けなし方が実に面白い。さすがプロフェッショナル、と思わせる添削を、すらすらっと書き上げる。そして、素人目にもそれが良くなった修正だとわかる。

今教わっている茶道の先生も同じで、何か不具合があった時に教えてくれる「こうしたらいいですよ」が、実にわかりやすく、具体的で、効果的。茶道の世界には1つの基本原則があって、そこから派生したいくつかのルールがあって、それに基づいて様々な所作が決まり、例外としてはこれとこれがあって、といった世界観が頭の中で形になっていく。具体的な言葉ではなくて、足の運びや手の置き方、道具の説明でいつの間にか「茶道世界の統一理論」がわかってくる、そんな面白さ。残念なのは、手と記憶がそれを覚えないこと。こればっかりは繰り返しなのだろうが、でも迷った時には「この場合、“茶道的には”どうするのが正解だろう」と考えると、どうしようもないミスは避けられる。

そんな楽しい茶道部、でも正座は辛い。
毎週お稽古をしているわけではないから、身体がまるで慣れない。畳の上で転びそうになってしまった。10万円以上する茶碗を持ちながら。それが今日の、いちばんひやっとした出来事。
それ以外は平穏無事だった。あとは寝るだけ。おやすみなさい。