損得と善悪

同僚じゃないけれどよく話す間柄の知人が、パワハラやセクハラめいたことを受けて困っている。僕の意見としては、何らかのアクションを起こすべき局面。でなければ早晩、心身を病むだろう。


が、もどかしいことに、この知人は「自分が我慢する」と言ってきかない。給料も少ないし、貯金も無い。事が大きくなって異動や休職、悪くすれば退職させられるかもしれない。そうでなくとも、会社でそんな騒ぎを起こせば損をするに決まっている、と言う。

まあ、そういう事になるかもしれない。理不尽極まりないが、そういう理不尽が起こりそうな部署だからこそのパワハラやセクハラという感じがする。

でもやっぱり、ここは「コンプライアンス・ホットライン」等に、慎重に働きかけたほうが、長い目で見て正解ではないのか、と考えてしまう。僕の問題ではないにも関わらず、もやもやと嫌なものが腹の奥に溜まる感じ。知恵を巡らして、匿名性を保って、穏便に済ませたいことも含めて伝え、問題解決に力を注ぐことは、本人と会社双方の為になる行為だと思うのだ。

でも、こういう綺麗事は、なかなか通じない。
つまり、貧乏が悪いのだ。
お金が足りないと、善悪で判断すべき問題も、損得で決めなければいけないと考えるようになる。実際には我慢が来年も再来年も自身を損なうのだとしても、来月の給料や、今期の賞与を考えてしまう。
おそらく貧困の問題点は、経済そのものよりも、この社会性の低下だと思う。

僕はかつて精神を病み、結果として仕事を辞めた。
多くの不可抗力があって、もちろん後悔もある。我慢もした。でも、上手く周囲を騙して、自分を誤魔化して、なんとか理不尽に順応することだって、できたと思うこともある。でも、そんなことをしたら、それこそ金銭では取り返しのつかない酷いことになっていたかもしれない。
それでなくとも、心身を壊し通院するというのは、本当に辛いし、不経済だ。まさに"人生を損なう"といった感じがするから、それよりは行動したほうがいい。
良くある話として、「コンプライアンス相談」に電話してみたら、実は自身の思い違いというか、認識違いだったとわかることもある。独り善がりの正義かどうか確かめるためにも、まずは誰かに相談すべきだ。

悩む人達にはできるだけ戦って欲しい。可能ならばそのための貯金と、頼りになる知り合い、そして常に何が正しいのか考える心を平和な時期に養っておけば、きっと力になる。

 

 

損得勘定から生まれた自己犠牲なんて、自身を甘えさせる以外の役には立たない。
大丈夫、歳をとるとわかるのだが、案外多くの人が、(理不尽に我慢できなくて)転職して、貧しいながらもなんとか生きている。逆に、生活レベルを落としたくなくて我慢を続けて、「ああ良かった」なんて言っている人には会ったことがない。
貧乏は悪い。が、善悪は貧乏とは関係無いし、善悪を忘れたら人生が貧しくなってしまう。

 

毎日のことだから。7分目くらいがちょうどいい

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