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メダルの数と速報は

仕事 生活 言葉

https://www.instagram.com/p/BJP5qJ3DDmE/

まぜそば、という麺料理(?)を食べる。味は良いが店の演出・接客が酷い、という困った状況。でも残さず食べた。満腹。 #まぜそば

 

ここ数日、テレビに速報のテロップが流れることが増えた。あのチャイム音とともに。もちろん事件や災害ではなく、オリンピックで日本人選手がメダルを獲得したことを伝えてくれる速報だ。

僕はこれに違和感を覚える。
思わず、通勤前につぶやいてしまった。

 下世話は言い過ぎだった、とは思う。
が、やはりメダルの獲得数なんてものは、今の時代には一喜一憂すべきものではない、と思う。せめて暗い愉しみとして、こっそり喜んでいればいいと思う。あるいは選手数や予算規模で割った「率」で楽しむとか。


同じ日本人といっても、僕達と選手にどれほどの共通点があるだろう。
彼らが黙々とトレーニングしている時から応援や支援をしてきた訳ではないし、身内でも友達でもない。試合を見れば、詳しくないまでも凄いとは思うが、見ないでそのメダルの話だけされても、まあ他人の話である。

ただ「勝って嬉しい」と素朴に思うなんて、それは感動のただ乗りである。昨今、素朴な発想や本音はもてはやされる傾向にあるが、もちろん「素直にそう思った」だけで正しさが担保されるわけではない。

つまり、あのメダルは個人やチームに与えられるものであって、日本国を称えるものではない、そう考えているのだ。

だからあの速報には、意味が無いと思う。急いで結果の、メダルの色の部分だけを知って、それが何になるのだろう。どんな戦いだったのか、本人はどんな顔をして何を語るのか、それを知るのがまず最初だろうに。スポーツの祭典とは何なのだろうか、と考えてしまう。

なにより、その競技を楽しむ多くの人達にとっては、順位だけ先に知らされても困るのではないか。

 

そんな風に考えて(Tumblrに書いたらTwitterに自動投稿されて)、出社してお昼休みに他の部署の人と話したら、まさしくこの「メダルの数」トークが始まったのだった。今回は多いとか、満足できる量だとか、そんな話まで。

僕は立派な社会人なので、こういう時にきちんと「上のツイート」と似たようなことを、言葉を変えて不快にさせずに伝えることができる。しかしもちろん、言葉を選べば相手が納得する、というものでもない。「みんなそうだよ」の一言で終わりである。

ここで話は途端に大きくなる。つまり差別の話だ。
差別とは何か。「みんな」を根拠に正誤を決めはじめたら、そこに差別の芽が生えると誰かが言っていた。確か星新一だったか。
それは民主主義や多数決とは違う。「みんな」の意見を集約する技術と、「みんな」を根拠に正しさを求めることは、明確に違う。
僕は差別された、とまでは言わないが、でも「みんな」ではないのだ。

 

つまりである。ここでまた唐突に話は戻るが、NHKの速報担当者は、何の為の速報なのかよく考えて決めて欲しいのだ。例えばもっと別の技術的解決、開催中に画面の隅に五輪マークが表示されたら「データ放送ボタン」を押すと速報を読むことができる、なんてどうだろう。
多くの人が日本人選手のメダルに興味があったとしても、それはそれ、これはこれ、である。