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甘さ控えめで思考停止

「甘さ控えめで美味しい」という言い回しがある。それ自体は悪くないが、あまり連発されると、なんとなく引っかかる物言いではある。
甘さが控えめである=美味しい、を自明の事、常識として疑わない人間の言葉なのだと思っている。

同様の、もっと“引っかかる”言葉が、映画や書籍のレビューにおける3つある。

  1. 「泣けた」
  2. 「考えさせられた」
  3. 「感情移入できなかった」

1番目、2番目は、良い評価を表す。3番目は酷評である。
どうやら世間一般には(少なくともFilmarksやAmazonのレビュー界隈では)、泣ければ良い作品、考えさせられたら有意義であって、主人公に感情移入できないと物語に没入できない、とされているらしい。
いや、ここまで書くと皮肉に過ぎるだろう。要は誰だって、長々と感想を書き綴りたくないのだ。
でも、赤の他人に向けて、(自分が)泣けた、(自分が)考えさせられた、(自分は)感情移入できなかった、と伝えても、「知らんがな」としか言いようがない。だって読むほうは、レビュアーのことを知らないのだから。どんな価値観と知識を持って作品に挑んだのかくらいは伝えてほしいものだ。まるで相手も自分と同質であることが前提の書き方は、ちょっと怖くさえある。

これは、泣くことが無価値だ、自分はそんなみっともないことはしない、と言っているわけではない。ただ、「どう泣いたのか、なぜ泣いたのか」や「何を考えさせられ、どんな風に今は考えているのか」を書くほうが誠実だと思うし、主人公への感情移入以外の関わり方だってあることは忘れて欲しくないのだ。

共感であれ何であれ、「当たり前」かつ「大切」な存在こそ、たまには疑ってみたほうが利口だろう。他の価値を見出し難くなってしまう。

 

もう一つ思い出した。
職場に、「嫌なもの」と「苦手なもの」と「避けたいもの」それに「どうでもいいもの」を、全部まとめて「どうでもいい」と言ってしまって平気な人がいる。好感の持てるものは「かわいい」か「センスがいい」で、嫌いな食べ物は全て「食べれない」。
語彙の少なさは、この人の青春時代が影響していると考えている。いわゆる「ギャル」などの、乱暴で無知なほうがピュアで本質に近い、みたいな流行の影響だろう。でももうそれも大昔である。あれは子供の純粋さを褒めるようなもので、延々と続けるものではなかったのだ。
言葉選びが乱暴な人は、たいてい思考も乱暴だ。先日は、「広島の平和祈念公園に行った。グロくて楽しめなかったけど感動した」と言って、上司を凍り付かせていた。物には言い方があるし、表現してはいけない思考もある。残念なことに、大人になると、教えてくれる人は少ない。

 

甘さが控えめで美味しいものは数多い。甘さが強すぎて不味いものも、たくさんある。だからといって、いつもいつも「甘さ控えめで美味しい」とばかり言っていると、多くの人は、甘さが控えめ“だから”美味しい、と考えるようになる。
言葉が認識を作る。
だから、「食べれない」で済ませずに、「嫌い」か「苦手」か、「食べたことが無いから不安」か、体質的に「食べられない」のか、普段から言葉を選ぶべきだと、僕は思う。
こってり甘くて美味しいものへの想像力が失われてからでは、遅いのだから。

 

ちなみに最初の写真は、「巴旦杏のかき氷」。ちょっと塩気があるけれど甘い、はたんきゅうのコンポートが珍しい。

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