映画『孤独のススメ』と『リップヴァンウィンクルの花嫁』を観た日。

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映画を2本、映画館で鑑賞。しかも1本は3時間の映画。休憩無しの作品としては、かなり長め。心身ともに疲れて、両方とも散漫な印象になるのでは、という危惧は杞憂に終わった。どちらも素晴らしい作品で、今はその余韻に浸っている。

今日は、映画を観て、天丼を食べて、映画を観て、コーヒーと抹茶ロールケーキを楽しんだ日。
以下、他サイトに書いた感想を。

 

 

『孤独のススメ』

素晴らしい映画だった。
予告編などで雰囲気が気に入った人なら、まず間違い無く楽しめる。「頑迷な老人が、風変わりでピュアな変人と関わることで、本当の幸せを取り戻す」なんてありきたりな映画ではない。いや、そういう側面もあるのだろうけれど、もっと複雑なこと、我々の身に否応なく訪れるであろう「孤独」への向き合い方を示す、でも面白おかしいキュートな作品でした。大きな何かを失った後、とにかく規範に沿った生活を繰り返すことは、僕にだって経験がある。あれは本当に身を助ける現実的な方法だ。それ以外に手段が無い、という場合だって多い。神様を信じているのならば、なおさらだろう。しかし正しい生活を繰り返しても、欠落は埋まらない。取り返しのつかないものは、どうあっても失われたままなのだ。
欠落は欠落として抱えたまま生きる、それができた時に初めて、人生の歩みを先に進めることができる。幸せなのか辛い道なのかはともかく、ひとつの真摯な姿だと思う。この映画の主人公は、いわゆる狂人、キリスト教における「聖なる愚者」と触れあうことで、ずいぶん突飛な形ではあるけれど、その道を歩み始める(ちなみに、この愚者、テオ氏がとびきり素敵です)。
自分の人生を、その空白や闇をも含めて抱え込むことができるのは、もちろん自分自身だけ。だからこその邦題、「孤独のススメ」だと思っているのだが、どうだろう。
本作の主人公は、自分で自分を「祝福」できた。幸いというしかない。少しの赦しと、心の交流と、癒やされない痛みという変化があったとしても、それでもなお生きるには祝福が必要だったのだ。あのエモーショナルな「This is my life.」には本当に驚き、気持ちが温かくなった。「孤独をも友にできた人間だけが、自分の人生を組み立てていける」とカート・コバーンも歌っていた。歳を重ねるごとに実感が強まる言葉。美しい風景と、くすっと笑えるシーンが散りばめられた映画。僕はこの映画のような人になりたい、とふと思った。登場人物の誰に、ではなくて、この映画全体のような、そんな人間に。一緒に観た友達は変だと言うけれど、偽らない気持ちではある。
そんなわけで(というわけでもないのだけれど)、缶入りのクッキーを帰り道で買いました。きちんとオランダ産。 

  

 

Matterhorn

Matterhorn

 

 

 

 

リップヴァンウィンクルの花嫁』

3時間という長めの上映時間。
ポスターや予告編の雰囲気からリリカルセンサーが反応したので、リリカル中年4名で観てきた(そうでなくても岩井監督作品なのだ)。
僕達はナイーヴなので、あえて離れた席に座る。それが許されるくらいには空いていた。

なにしろ長丁場だから、普段の「起承転結」が通用しない。これは予想外に新鮮な体験だった。緊張感に満ちた数時間を堪能。

結果から言うと、自分にとっては、2016年における邦画ベストムービーになるだろう。美しい映像と音楽で紡がれる「嘘」の物語。そして、「現代」を綺麗に磨いて差し出されたような、胸に迫るお話だった。

 

とかく僕達は「盛る」世界に生きている。
生活から趣味まで、ただ自分だけで淡々と楽しむなんて事は、変人の所行だとされている。SNSにランチの画像をアップロードするにしても、テーブルを整え、フィルタをかけ、その有意義さをアピールする。自己は啓発すべきものであり、映画は号泣するもの、になっている。良かれ悪しかれ、そういう時代になっているのだ。他者の目で自分を形作る社会、と言い換えてもいい。ただなんとなく、が可能な豊かな環境でもある。

この作品のヒロインもまた、そんな感覚を持つ普通の人。生きづらさを感じながらも、つい嘘をついてしまう。つい他人に頼り、つい思考を停止する。深く考えず、ただ悩むだけ。しかしその当たり前の生活は、長くは続かない。

ある男が主人公に近づく。彼はこの映画における触媒の役割を担う。暗に明に、彼女の人生に関わっていく。善も悪もなく、明確な目的も明かされぬまま、情報を操作する男。彼は自覚的に嘘を操る。時代に寄り添う人間の、ひとつの典型。
岩井作品には欠かせない、物語を駆動する、有能な謎の男でもある。

そして三人目の主人公。彼女こそがリップ・ヴァン・ウィンクルアメリカ民話の浦島太郎の名を(LINEめいたツール上で)名乗る人間だ。彼女は刹那を生きながら、嘘を重ねながら、ヒロインを「花嫁」とする。なぜこんなハンドルネームを名乗るのかは、よくわからなかった。彼女が登場してから、物語は大きく動く。華やかに、耽美に、そして悲劇の趣を孕みながら。

「この世界は幸せでいっぱいなんだよ」
…本当だろうか。

虚構であっても実際に心が動くのならば、それはもちろん現実。僕達が紡ぐ物語は、バーチャルとリアルなんて古くさい区切りは通用しない。だから悲しいし、たまには幸福にだってなれる。まるで映画みたいだ。

しかし何度か登場する結婚式のシーン。あの薄ら寒い余興(少なくとも盛り上がるのは一部だけの感動目的の茶番劇)は、見ていて辛かった。あれこそが現代の「嘘」、その典型だと思う。

あれも嘘、これも嘘、でも嘘を抱えたまま、嘘とわかったうえで世界の有り様を眺め続けたい、そんな気分になれる3時間。岩井監督の優しさと理知に圧倒される。しかも、中だるみ無しで。

 


ところで、すっかりこの映画が気に入ってしまったリリカル中年4人、帰りに書店で並んで原作小説を買ったのだけれど、書店員さんが露骨に驚いていた。あれはなんというか、申し訳なく思う。

 

 

 

黒木華写真集 映画『リップヴァンウィンクルの花嫁』より

黒木華写真集 映画『リップヴァンウィンクルの花嫁』より

 
リップヴァンウィンクルの花嫁

リップヴァンウィンクルの花嫁

 

 

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