映画『さざなみ』を鑑賞。
年上の友人夫妻から「ぜひ観てほしい、感想を教えてくれ。きっと私達とは違う受け取り方をするだろうから」と強く薦められたので急遽映画館へ。そんな珍しいきっかけだったが、とびきり素敵な映画でした。
主人公は、晩年といって良い年齢の夫婦。穏やかで節制とユーモアのある田舎暮らしを楽しんでいる。結婚45周年を目前としたある日、そんな彼らのもとに、1通の手紙が届く。夫が結婚前に交際していた女性の遺体がスイスの山中で発見された、との事。
夫はその、もはや思い出でしかない過去を遡りはじめる。今となってはどうすることもできないし、決着済みの感情であっても、思い出さずにはいられないのだ。
その夫の変化と、なによりも自分の変化に戸惑い、苛立ち、悲しむ妻。この主役の女性が、すばらしい演技だった。ちょっとした表情や台詞、ため息まで含めて、観る側の納得感というのか、ああそういう気分になるのも無理は無いな、と思わせるのだ。決して見苦しくない、しかし年齢を重ねた(教養と理性のある)女性が、既に死んだ者に向ける嫉妬。ともすればただの妄執、でもそれだけではない深い想いが伝わってくる。
そして訪れる、結婚45周年のパーティ。僕は感動しながらも、胃が痛くなってきた。
邦題の「さざなみ」が見事だと思う。
長く連れ添ってきた家族だから、何があっても平穏な生活を維持する知恵は有る。相手の事を想っているから、お互いの過去を含めて愛する覚悟だってできている。それでも「さざなみ」は発生する。
深い海には色々なものが沈んでいるが、それらは無くなった訳ではない。普段は、ただノイズに紛れているだけで、でも表層への影響は必ずある。そして稀には、目に見える形で浮上し、あるいは海底で大きなうねりを生む。鏡のようだった海に「さざなみ」ができる。
きっと他人と生きるというのは、そういう事なのだろう。
人は神様じゃない。全てを知って、全部を受け入れたくても、たぶんできない。おまけに、思いがけず過去が追いかけてくることも、たまにはある。その、神様とは違う愛のありようが、とてもとても素晴らしいと思えてくる、そんな映画だった。妥協や諦念も含めた人生の面白さを感じさせてくれた、というと大げさだろうか。人はどうあっても1人なのだ。でも手を繋ぎたがるし、言葉を交わしたがる。
とにかく、そう、「単純じゃない世界と完全じゃない人間」について、映画館を出たあともぼんやり考えてしまう作品でした(あのラストシーンが、今もじわっと“効いて”いる)。
さあどうしよう。
友人夫婦にどんな風に感想を伝えようか。「さざなみ」というには激しすぎるやりとりが伝わってくる(スイスの山中に置いてきた過去もありそう…)、でも普段はとても仲睦まじい2人。まず彼らの話を聞きたい。ちょっぴり怖いような、でも楽しみなお茶会になりそう。
映画のあとは、お昼ごはん。
自分でも作る「クレソン蕎麦」を、七間町の新しい蕎麦屋さんで食べてみた。なるほど違うし、お店のものは当然ながらプロっぽい。ピンクペッパーかー。勉強になる。
それ以外は、書店に行ったり、マルシェっぽいイベントでかばんを買ったりと、まあ楽しい消費活動をしてきました。天気も良くて、良い日曜日。しかし「さざなみ」、僕の心にもさざなみが発生しているのだが。
映画パンフレット 「評決」 監督 シドニー・ルメット 出演 ポール・ニューマン シャーロット・ランブリング ジャック・ウォーデン
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