コーヒー風味のバタークリームを巻いたロールケーキと、コーヒー。ついでに「永遠の0」の感想。

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帰宅する前に、「ボクゥボクゥ」でお茶を。お茶というかコーヒー。

1週間、連休後の辛い時期を乗り切った自分へのご褒美。今月も来月も連休が無いなんて、残酷すぎる。

この店、イートイン可能なケーキ店なのだが、コーヒーがとても美味しい。昔は喫茶店だった店舗で、コーヒーの味も似ているから、引き継いだのかもしれない。
今日は「コーヒー味のロールケーキ」を食べた。
これコーヒー風味のバタークリームと、ビターチョコレートみたいなケーキ生地と、たっぷりのクルミのロールケーキ。とびきり美味しく、上品な苦みと甘みが楽しめた。
良いコーヒー時間を過ごせた。

 

 

 

そういえば、近所に住む父の知り合いから、「永遠の0」のDVDを貰ったのだった。貰った、というより彼の信ずる新興宗教の活動か何かで、無料配布していると言ったほうが正しい。とにかく活字なら何でも読むし、映画なら観る。そういう身体になっている。

で、感想。もちろん映画レビューの「Filmarks」に書いたもの。ニックネームは「カトゥ」です。コーヒーを背負ったカメのアイコンが目印。IDは、ちょっと公開できません。

以下、転載。

 

るろうに剣心」という漫画がある。あれを「嘘の明治時代だ!」と怒る人は少ない。どう見てもエンターテインメントだからだ。逆に、あの作品で歴史を知ったつもりになったら、恥をかく。

 

さて、本作、「永遠の0」もまた、エンターテインメントだ。
どのような娯楽、エンターテインメントかというと、「泣くための作品」と言っていいと思う。
集中して観たら、たぶん感動して、涙を流す人も多いと思う。


ただし泣ける映画というのは単に「そのように作ってある」だけで、それで作品の優劣が決まるわけではない。もちろん鑑賞者の感受性が豊かだから泣ける、だから素晴らしい、自分最高、なんて話でもない。単にテクニカルな部分で1つの成功があった、くらいに考えるべきだろう。「笑えた」だけで映画の価値が決まらないのと同じ。
でもまあ、とにかく「泣かせ」の映画である。

 

ではこの「永遠の0」は何によって泣かせるか。
そう、「特攻隊」である。
僕個人の好みで言えば、現代において本作のような“つくり”で涙を流させる、もっと言うと感動を愉しませるのは、やや節制に欠けるように思える。
有り体に言えば、「美談の濫用」だ。

 

考証と技術を尽くし、かつ「今の僕達には理解しかねる何か」を丁寧に描く、抑制の効いた昨今の戦争映画とは、まるで違う。

 

ただひとつ、感想というよりも感慨になってしまうが、今や「第二次世界大戦の悲劇」が、こうしたエンターテインメント作品となってしまうのだなあ、とは思った。ちょっと「水戸黄門」っぽい。
時代と状況こそ戦争だが、そもそも本作は戦争映画なのだろうか、とさえ思える。

 


あまり頭を使いたくないけれど感動したい、そんな時にぴったりの映画ではないでしょうか。皮肉ではなくて、そういうフィクションとして成立している点こそ、本作の紛れもない長所だろう。
現実の延長ではない、と心に留めたうえで、暗い愉しみとして「感動」して「泣け」ばいい。何も悪いことじゃない。他人に語り始めたら、かなり恥ずかしいけれど。


もし、いくつかのシーンで興醒めしなかったら、儲けものである(終盤に僕はひっくり返りそうになった。なんだあの零戦は!)。泣けなくても、若手俳優を鑑賞するには不足の無い娯楽作です。

 

 

 

なんだか辛辣になってしまった。
まあ、そんな映画もある。ハッピーをサイエンスする宗教の人が押し付けてきた、という不幸な出会いも関係しているのかもしれない。
簡単に書くと「いくつかのシーンで興醒めしたので、時間の無駄でした。特攻隊を使って涙腺崩壊映画を作るなんてキモチワルイです」なんだけど、まあそういう文章を書いても誰も幸せになれないので、いちおう映画紹介っぽくしてみた。滲み出る不満感。
ちなみに原作本も、父は貰ってきた(読まない)。

 

永遠の0 (講談社文庫)

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『永遠の0』を検証する ただ感涙するだけでいいのか

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『永遠の0』と日本人 (幻冬舎新書)

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