映画『サウルの息子』と、美味しいもの色々。



映画『サウルの息子』を鑑賞。これは予告編を観てから、ずっと楽しみにしていたもの。とはいえ、楽しい映画ではない。以下に他サイトで書いたレビューを転載する。

ゾンダーコマンド、直訳すると「特殊部隊」。ナチスドイツ時代に軍で乱立された、非正規の、あるいは新機軸のテスト的な組織。便利なお役所言葉、だったと何かで読んだ。
強制収容所においては「収容者による“運営”協力隊」を指す。何の運営を協力するのかというと、もちろんガス室による大量殺戮と、その後始末。最も手間のかかる作業の見返りは、数ヶ月後の処刑。控えめに言って、地獄である。

その存在は知っていた。
ホロコーストについても、概要はわかっているつもりだった。ユダヤ教にとって「正しい埋葬」が大切なことも。

でも、映画を見終わっても、色々なことがわからない。
主人公は何を思って、あそこまで「息子の正しい埋葬」にこだわったのか。
常に無表情なサウル。彼の陰気な顔が常にスクリーンの一部を占める。被写体深度の浅いカメラは、彼の周囲の光景をぼかすが、何が行われているのかは概ねわかってしまう。
死が、それも理不尽で恐ろしい虐殺が日常の日々。雑な言い方をすると「心が死んでいる」のだろうが、絶望の淵にあっても、最悪の環境であっても、身体は動くし、きちんと考える。

そんなサウルが、息子と思われる死体を見つけたところから変わっていく。誰かと計画するでもなく、時には仲間を売ってまで、息子を「正しく埋葬」するべく奔走する。
なんだってそんなことを、と僕は思う。劇中の仲間達だって、やはり同じように考える。毎日、数千人が「処理」され、作業者である自分達だっていつガス室に入れられるかわからない。だって「もう死んでいる」のだ。正しい埋葬なんて、それは収容所の外の理屈だ。

埋葬という極めて宗教的な行動は、その状況ではもはやサウル個人の儀式となっていた。ほぼ狂気といっていい。無表情の殻に籠もったサウルが何を考えていたのか、最後の最後まで、僕にはわからなかった。
ラストシーン直前、彼がその「殻」を破る。常に陰鬱だった彼のあの変化が何だったのか、今日はそればかり考えてしまう。誰かの心に自分の存在が残るであろう予感が、あの反応だったのかもしれない。よくわからない。

映画館を出たところで、ふと思った。
今の時代に生きている、ということが凄いことなのだと。殺されも殺しもしない、少なくとも同胞をガス室に送る作業を強制されない。人と会ってお茶をして、美術館に行って、本をまとめ買いして、観たい映画を観て、ごはんを食べる(今日はケーキだって食べた)。
たった70年と少し前には、こんな地獄があった。その断絶に圧倒される。きっとそれは紙一重の世界なのだろうけれど。


観ないとわからない映画、があるとしたら、本作はまさにそれだ。「娯楽には向かないが、機会があったら観ておいたほうが良い」と僕は考える。
理解も共感も難しいが、心にしっかりと焼き付く何かがあった。

 以上。
ホロコーストについては、ナチスが酷い、とかそういう話ではないと思っている。少なくとも日本の、現代に生きる僕達にとっては。どちらかといえば、自分達だって同じ事をする可能性について考えたほうが、より「実のある話」ができるのではないか。

 

 

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ところで今日は、朝ごはんが贅沢だった。

静岡市葵区鷹匠にある「ジュードポム」で、生まれて何度目かの「イングリッシュブレックファースト」を食べてきた。
トーストにはジャムとバターとマーマレード。絞りたてのオレンジジュース。コーヒー。
ソーセージ、豆、ベーコン、炒めたマッシュルーム、焼いたトマト。
ちょっと上品で、でもほんの少し物足りない感じがイギリス料理なのか。冷めると格段に味が落ちそうなところも。
幸せな朝ごはんでした。たまにはこういうのも良い。

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エクソダス症候群 (創元日本SF叢書)

ついつい寝不足になってしまう数日を過ごしたせいか、夕方にしっかりと昼寝をしてしまった。本が頬に刺さり、皮膚が赤くなっている。明日は出勤、それまでに直さねば。

ちなみに刺さった本は、「エクソダス症候群」。めちゃめちゃ面白いです。

 

エクソダス症候群 (創元日本SF叢書)
 
アメリカ最後の実験

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