伯母の通夜式

伯母の通夜に参列してきた。

余命1年と宣告されてから2年以上も頑張って、先日ついに亡くなった。末期ガンは本当に辛いと聞いていたが、僕が半年前に挨拶(最後の挨拶に…と言われていたのだ)した時は、ぼんやりしていたが穏やかな表情だった。
今日は、死化粧をしているにもかかわらず、壮絶といっていい痩せ方で、今もそのことにショックを受けている。社会人の孫もいる歳だが、今の基準からすればもっと長生きする人だって多い。ただ、友人も多く、家族に恵まれた生を全うできたとしたら、それだけでも良かったと考えたい。

 

 

彼女には、どちらかと言えば子供の頃にお世話になった。
僕の両親は共に会社員で、昔は学童保育なんて無かったから、同じ学区内にある伯父伯母の家に放課後から夕食前まで預けられていた。
学校が終わるとランドセルを預け、すぐ近くの大きな公園で暗くなるまで遊んだ。そして同居していた祖父の部屋で宿題をやりながら(あるいは相撲や時代劇を観ながら)母が迎えに来るのを待つ、そんな小学校低学年から中学年を過ごした。
夏休みなどは、朝から夕方までお世話になった。
少し年上の従兄もいる、現役のお母さんだったわけで、よくもあれほど優しくしてくれたものだと、今思い返すと驚くばかりだ。ただの子供好き、では説明できない包容力がある人だった。

料理が上手で、特に今の季節ならば蕗が得意だったことも印象に残っている。どっさり作って届けてくれる伽羅蕗は、家族の誰もが好きだった。
今年は伯父が「家内ほど上手じゃないけれど」と、伽羅蕗を持ってきてくれた。元気な頃に書き残した手順で作ったそうだが、笑ってしまうほど不味い。持っていった先々で笑われてしまった、と通夜の挨拶で伯父は言っていた。

 

通夜の会場は、自宅からも伯母の家からも近い、葬祭会館みたいな場所。今は通夜式も葬式も、こういうところで行うのが当たり前になった。
綺麗に補正された伯母の写真と、落ち着いた白い祭壇。手際が良いが、きびきびし過ぎないスタッフたち。部屋の外には液晶モニタやプロジェクタで案内(携帯電話は音を消して…といった映画館のような動画から、焼香の方法まで)を映していて、ちょっと感心した。

10年ぶり位に再会する従兄弟や、親戚の親戚くらいの間柄の人達。みんな老けた。
同じ学区内ということもあって、なんとなく知った顔もちらほら。

 

式が終わって、そのまま帰れば自宅まで10分もかからない。でも今日は、そこから5分寄り道して、伯父伯母の家と、小学生の頃に遊んだ公園を廻ってみた。
実家からすぐそこ、でも実際に通るのは久しぶりの住宅地は、道がずいぶん狭い。市営アパートだって、こんなに小さかっただろうか。
公園は遊具がずいぶん減って、樹木が大きくなっていた。桜から別の木々への植え替えが進んでいるようだ。

僕はともかく、伯母はここに40年は住んでいたのだなあ。そう考えると、ぼうっと考え込んでしまう。だから何だ、という話ではないのだが、ただぶらぶらと、喪服姿で誰もいない公園を歩いて、物思いに耽ってしまったのだった。

 

 

 

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