ラジオ体操とふるさと納税

他人の話を聞かない人にも色々ある。
今の勤め先では、隣の席の青年が、「考えが浅い」タイプの、他人の話を聞かない人だ。

素晴らしきラジオ体操 (草思社文庫)

職場に隣接する小さな工場では、朝に全員が整列して、ラジオ体操をしている。忙しい時間に、大変そうだ。
で、「あれは“職場のとりくみ”として行っているとしたら、勤務時間外にするのは違法なんだよね」という話になった。明確に出欠をとらなくても、参加が当たり前で、それができなかったら評価に影響する、と暗にほのめかされている時点でもはや仕事だと解釈される。
同様に、交通安全運動で、旗を持って交差点に立つ活動も、あくまで自由意志で、つまり人員のわりふりなどが無い状態での自主活動でなければ、お仕事の一環になる。

同僚青年は、そういう会話に参加するときに、8割くらいの確率で、ちょっと変なことを言う。
ラジオ体操に関しては、「でも、身体を動かすのは気持ちよいですよね」と言い出した。

配属当初は「いやそうじゃなくて…」と説明する人もいたが、今は誰も何も言わない。正直なところ「知らんがな」と思う。ラジオ体操の効能で、無給のとりくみが免責されるわけがないだろうに。

 

 

そういえば、「ふるさと納税」のことでも、やっぱり似たような事を言い出す人が必ずいる。
「そもそも行政サービスを受ける人間が、その行政に対価を支払うのが当然である。現在の、血を吐いて進むマラソンみたいな状況はおかしい」という話なのに、「でも、特産品を貰えるぶん、節約になりますよ」とか言う人が、わりといる。

 

大人ならば(できれば中学生以上ならば)、「自分が得をすること」と、「それが公正であること」の違いは切り分けてほしいものだ。まさか、お得ならば正しい、とは思っていないと思うのだが。

この「ふるさと納税」では、それを言っていいのは、行政に特産品を納めている業者だけだろう。

 

しかしここまで書いて、ふと「休日のファストフード店」について思い出してしまった。
ハンバーガー店などでは、紙ナプキンは自分で必要なぶんだけ取って使う。あれを、とにかく大量に持っていく人がいるのだ。指や手を拭くのに、そこまでいらないだろう、というくらいな雑な取り方。
無料ならばいくらでも使っていい、と考える人は、残念ながら存在する。公衆トイレの紙タオルなどでも、似た状況に遭遇することがある。
彼らもまた、「無料だからいいじゃないか」と考えているのではないか、と想像する。
当たり前のことだが、「おかわり自由」と「無尽蔵の食料庫」はイコールではない。「無料だから無駄遣いOK」は、いかにもさもしい。

どうもこの、「お得だからいいじゃん」な考え方は、店ならば安いほうが、遭遇率が高い気がする。本当は、貧乏人ほどコストについては痛感しているはずなのに。

 

 

話が逸れた。
とにかく「自分の印象」をぽろっと言ってしまう、その前にほとんど考えない人は存在する。僕はわりと、そういう人と会話をすると疲れてしまう。
職場には、映画の話になると、どんな文脈でも俳優とタレントの事を言い出す人がいて、僕はいつも「この人は他人のことなど考えないのだろうか」と不思議に思ってしまう。単に頭の回転が悪い可能性もあるので(人には向き不向きがあります)、深くは考えないし、追求しないことにしているが。まあ、親しい間柄だったら、たまらないだろうなあ、とは思う。

 

旅の疲れは、日常生活に支障が無いレベルになった。
でも今日は、鼻炎のような状態がずっと続いて、実は今もくしゃみが止まらない。昨日今日と、やたらと花粉が飛んでいた。花粉症はいつの間にか治ったはずだが、アレルギーに関する何かの閾値を超えてしまった可能性がある。
というわけで、寝ます。本もどっさり買ったから、今日はもう、寝て読書して、おしまいにする。

 

 

はだかんぼうたち (角川文庫)

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活発な暗闇 新装改訂版

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