女子会に招かれて理系っぽい話をする夜

知ろうとすること。 (新潮文庫)


仕事中の休憩時間に、数年前の化粧品による健康被害の話題が出た。
話をふんふんと聞きながら、その時は黙っていたけれど、でも考えていたことがある。
要は「廃油から作られる化粧品がある」という話。

 

この「廃油エピソード」は、今後数十年は、”固定”されちゃった話として、延々と語り継がれると予想している。
この場合の「廃油」とは、要は「原油から燃料油成分を取った後の残り」だ。それを廃油と呼ぶのなら、ガソリンは「廃化粧品」になってしまう。原油という様々な成分の混濁から、熱やその他の方法で用途に合った成分をより分ける、それだけの話。
そして、石油製品そのもの、原油由来の品に共通する「害」は存在しない。

だから「廃油」という呼び方は正確ではないし、「原油由来だから怖い」と考えるのも(つまり生物由来だから安全だと信じるのも)間違いなのだ。

 

個別の製品、個別の成分として、害も利も考えなければ、それはただの印象論でしかない。
印象で白黒つけてもおおむね問題ない、のならば個々人の勝手だろうか。嘘や間違いを皆が信じて生きられるほど、豊かな社会を僕達は築けているのだろうか。もしくは、僕達の財布はそこまで豊かなのか。


印象がその多くを占める商品である化粧品だからこその与太話の蔓延であり、加えてどこかいかがわしさがある(化粧品の原価率についての噂もまた延々と続くだろう。多くの人が割高感を持っているのではないか)世界だからこその「廃油」論とは思うのだが。

僕が、今後何かしらの理由で化粧品を売りたくなったら、セールストークとして「化粧品は廃油論」を使うだろう。大きな健康被害があった事件は嘘ではない。安物は品質が低い。「ある意味では本当」と言い張ることもできる。そして、世間の常識として、休憩室で囁かれ続けているのだ。
僕が誠実では無い営業マンであったら、これくらい使いやすい言葉はない。

とにかく、「物語」としては淘汰されにくい地位を占めたとは思う。
でもこれは、「血液型占い」に似た、「何の疑いもなく語っていると、ある種の低い評価をされてしまう言説」としての立ち位置でもあるから、「みんな言ってる」で済ませては損をする、そうも考えている。

 

 

先ほどまで前職場の人達(女子会にオブザーバーとして招かれたのだ)と食事をしながら、「何かとびっきり理系っぽい、興醒めかつ嘘では無い話をして」と頼まれ、上に書いたような話をしてみた。もちろん雑談用の言葉と口調で。

感心はしてくれた。
「でも、モテませんね」とも言われた(よくわかる)。
僕だって請われなければこんな話はしない。他人が与太話を語ろうが知ったことではない。水素水だろうが酵素ウォーターだろうが電磁波遮断シートだろうが、好きに自分の金で買えばいい。
しかしこうして、異なる発想の話を聞く、あるいは聞こうとする人達には、機会を選んで「違う世界の話」を伝えていきたい。そうやってお互いに知らない世界を重ねていくことで高まるリテラシーもあると信じている。

ところでこれ、理系っぽい話か?今になって違う気がしている。

 

 

 

13月のゆうれい  1 (フィールコミックスswing)

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