難しいアートと、とにかく大きな声で挨拶をする人。

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同僚というか、同じ実験室を共有している青年が、なんだかいつも妙なのだ。
以前、仕事を教える時に、「とりあえず見ていて」とまず僕が手を動かして、その後に「じゃあやってみようか」と機器を渡したら「いや、見ていただけで、覚えていません」って言われてしまった、そんな人。
「見ていて」と言うと、本当に見ているだけで、片付けなどを「後でいいから」と言い添えると、延々と後回しにする(そしてもちろん、半日も経てば忘れてしまう)という、ちょっと困った若者。ちなみに、慎みを知らないオタクであり、よく「艦隊これくしょん」で培った歴史知識を(興味の無い)人達に披露している。

 

その彼が、ちょくちょく僕の使う実験機器を借りにくる。
黙って持っていってしまう事もある。それは困るから「借りる時はひとこと言ってください」とお願いしてからは「持っていきまーす」と元気よく宣言するようになった。
いや、他部署の道具や機械を借りるのだから、他に言いようがあるだろうとは思うが、あまり保護者めいた事は言いたくないので、同じ注意は2回/dayの頻度に留めている。

で、借りたものを返す時は、いつも僕の周りをうろうろしている。
当然、返し忘れてしまう事だってある。
だから先日、「返す時は、黙って戻してくれればいいです。乾燥の必要があるのなら、この作業机に(わかるように)並べてください」とお願いした。

そして今日。
借りた機器や器具が(言い忘れたが、企業の実験施設である)、作業机にぽつぽつと置かれていた。
ただ並んでいたら、特に変には思わない。
なんだか妙な、普通じゃない置き方なのだ。机のフチに沿わせてみたり、棒状の器具を乱雑でも規則的でもない並べ方をしたり。
こういうのは何処かで見たぞ、と考え、そして「現代アートだ」と気付いた。

「無題 Vol.1 2016 鉄・ステンレス・ガラス・セラミック」とか、そういうパネルが欲しい。
そして解説文をつける。
「注意深く配置された実験器具が緊張感を持って観測者へ語りかける形式こそ作者の持ち味であるが、ステンレススチールと工業用セラミックを多用した新しい試みが静謐な日常への鋭いなんたらかんたらでありすなわち本作品においても魂と物質との混淆(マージ)がもたらすなんちゃらの反例、あるいはアンチテーゼであることを強く意識させる作品となっている」
とかなんとか。

あまり日常では見かけない配置である。
正直言って、それを僕が元の場所に戻すのは手間がかかる。とはいえ、かの青年を呼び出し、彼に片付けを指示するのも面倒極まりない。教育的配慮から、もちろん片付けを頼んだけれど、職掌から言っても筋違いであるし、僕は彼のお母さんではないから、本来ならば避けたい事態ではある。

いつの間にか、彼の(社会常識を教える)教育係に任命されてしまったような昨今。かといって、もちろん僕の仕事が遅れるぶんはフォローが為されるわけでもないし、本当に困ったことである。
まあ、僕の上司も、彼の上司も、その辺の苦労は汲んでくれているらしいから、期待には応えるけれど。本当は特別手当が欲しい、それくらい日常業務に食い込んでいる、彼の非常識。
今日は「濡れたゴム手袋を着けたままポケットに手を入れると、ポケットが濡れる」と教えた。「えっ?」って顔をされてしまった。濃硫酸だって扱うシリアスな職場なのに、彼のまわりにだけ、ゆるふわ時空が形成されている。

 

 

 

彼ほどではないが、たまにいるのが、言葉遣いが丁寧で元気が良ければそれでOKだと思っている若い人。
これは古株社員に聞いたのだけれど、ここ数年の新人の多くは、3ヶ月経っても、半年経っても、とにかく朝の挨拶は大きな声で部屋全体に向けて行うという。まるでガソリンスタンドか居酒屋みたいな人は、確かに存在する。
それは礼儀ではない。もう赤の他人ではないのだから、それぞれに適切な声量と内容で挨拶をすればいいのだ。現に皆はそうしている。
「おはようございまーす」という元気な挨拶が通用すると考える人は、たぶん思慮が浅い。入社した時にそう習ったからといって、いつまでもそのままでは、「何も考えていないのだな」と思われてしまう。
もちろん件の彼もまた、挨拶はとにかく大きな声である。ちなみに敬語は、「させていただきます」を多用する。多用しすぎて、聞いていて混乱してくるのが困りどころ。 

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