モチベーション原理主義

職場で知り合った人から相談を受け、食事を兼ねて話を聞いてきた。
実は昨日も、別の人からの相談があって、そちらはSNS経由での対応をした。
そういう相談役になることが多いほうだとは思う。世間一般の水準は知らないが、少なくはないはずだ。
では得意か、好きか、と問われると困ってしまう。嘘をでっちあげて逃げる程ではないが、満足のいく対応ができたとは一度だって思ったことはないし、無ければ無いに超したことはない。

 

 

 

ともかく、その相談は、2者とも仕事に関する内容だった。実によく似ている。
具体的には書けないが、要は「今の仕事と職場ではモチベーションを高く保てない」と言っていた。

僕だって彼ら彼女らの年代には、それなりに悩んでいたと記憶している。
ただし、職場の雰囲気や、自分の心情が「思わしくない」ことで、今の若い人達(といっても一通りの仕事ができて、異動もいくつかして、面倒を見る後輩もいる年代)ほどは悩まなかった。もう少し具体的な悩みがあって、気分や感想はその派生物だった。

最近はとにかく、僕が若手社員だった頃よりも、「モチベーション」を大切にする風潮のようだ。
それはもう、上司だって「高い意識を持って働いてください」なんて言うし、書店に行けばその種の啓発本は山ほど積んである。

でもよくよく考えると、上司はそれを「お願い」するだけだ。決して命令しないように、注意深く言葉を選ぶ。
自己啓発本だって、高いモチベーションがより良い成果を生むという前提で書かれているのだと思う。
つまり、モチベーションの高さは、仕事の目的ではない。仕事を上手くやるうえでの重要なツール、要素なのだ。

 

これは当たり前のことで、ほとんどの人は心得ている。
僕達は会社と契約をするにあたって、思想信条や精神の自由は売り渡していない。
上司は僕達の成果に責任を持つ。会社は対価として給料を払う。しかし、僕達の心のありように関しては責任を持たないし、持つべきではない。
メンタルヘルスや人権のレベルでは十分に心配りはすべきだが、それ以上の精神的充足は、「そうか働いていて気分が良いか、それは良かった」としか言ってくれない。「気分」は管理職の、リーダーの管轄ではない。
だからこそ、僕達はどのようなモチベーション・レベルであっても、きちんと仕事さえすれば咎められない。心の中は自由なのだ。

職場にモチベーションの根拠を求め始めたら、それはもう宗教である。
職場がモチベーションを求め始めたら、他に言うことが無いだけか(たぶん予算も無い)、あるいは地獄である。
高ければそれに越したことはないが、目標に掲げたらそれは間違い、それが仕事における「モチベーション」だ。

多くの仕事と状況と人間が、低いモチベーションでは良い仕事ができない。僕だってそうだ。
でも、何らかの原因でモチベーションが高く保てないのなら、その(低くしている)原因をなんとかするなり、低くても良い成果があげられる工夫をすれば良いし、それ以外に手は無い。
モチベーションに依存してはいけない。

 

この種の相談、最近は本当によく受ける。
たぶん世間の「風潮」が、キモチやモチベーションやマインドといったものを大切にしようと、そればかり言うようになったからだと思う。
教養があって、きちんと考える習慣のある人は別だが、若くて経験の浅い人によっては「高いモチベーションこそ素敵な社会人の絶対条件」と考えてしまうのだろう。不幸なことだと思う。そして、試してみるとわかるが、この思い違いは説得に手間と時間がかかる。
だって、「中学の運動部じゃあるまいし、皆の精神的な満足のために会社が存在している訳じゃないでしょう」なんて言えない。「絶対条件とは?」なんて解説を始めるわけにもいかない。

心を殺せ、と言っているわけではない。
全く逆で、心を仕事に切り売りするな、ということ。そのために、「心の問題は、具体的な(現実世界の)要因を潰す」ことが大切なのだ。心の問題を心で解決しようとしても、ろくな事にならない。だって気分が変わっても、世界は何も変わっていないのだから。少なくとも、次の日に出社すれば、職場は何一つ変わっていない。
仕事を辞める、という可能性を常に考えつつ、とにかく具体的な行いで対応していくほうが利口だと考えている。

 

ところでこういう悩みを抱える人は、同時に「上司の命令は絶対」だとも考えている。僕の周囲では例外なくそうだ。
これもまた、僕にはよくわからない感覚だ。それこそ「部活の先輩じゃあるまいし」と思う。
上司はそもそも、命令しない。まともな会社のまともなリーダーは、命令と誤解されないように言葉を選び、指示を出す。
たとえ命令とは言っても、真の意味で強制力が無いのが、現代日本の会社組織の働き方だ。ルールには強制力があるが、納得できないのに従ってはいけない、というのが「原則」であり「建前」だ。納得いかないのならば議論すればいいし、納得できないのに従ってしまったとしても、それは自分の責任。
会社の階級は、役割分担であって、身分ではない。当たり前のことだ。

 

この辺り、仕事や職場といった話よりも大きなスケール、つまり人権や労働法といった事から考えたほうが理解が早いと思う。
で、そういう話をすると「今は仕事の話をしている」と言われてしまう。まるで自分から進んで奴隷になっているみたいに、あるいは夢の国の住人になりたいみたいに見える人達。騙されているのか、ただ考えが足りないだけなのか、僕にはよくわからない。
「給料のために働く」ことばかり強調するのも美しくないが、かといって自己表現のために仕事と、その時の自分の心にばかり向き合うのも、とても危ういと思うのだ。

 

 

村田エフェンディ滞土録 (角川文庫)

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