大根の増量漬と、宝くじの行列と。


引き続き、大量に残っている大根を消費するべく、日々の食に取り入れている。

こんな状況だが、家族は外食に行ってしまった。夕食は用意してあったが、でも細々としたものは作るし、ついでに大根のお総菜も作る。

どこかの土産物の、大根の甘酢漬けがあったので利用する。
まず大根は薄切りの後、細切りに。そして塩を振って放置する。
甘酢漬けは細切りに。
大根は水気を切って、甘酢漬けと混ぜ、冷蔵庫に。柚子を少し加える。
たぶん明日には食べ頃となるだろう。完全に同一化はしない事は覚悟しているけれど、土産物の濃いめの味付けが和らぎ、全体としてはいくぶん貧相な味になってくれれば目論見通り。たくさん食べたいから、それで良い。

少し取り分けて、生姜の甘酢漬けとも混ぜてみた。
これは夏に作ったもの。出来心で五香粉を、ほんの少しだけ入れてしまった。

こういう品を作っても、それほど大根は消費できない。
オレンジページを買い続けていれば、きっと「大根1本使い切りおかず」特集が、冬の間には読めただろう。かつては「またかよ去年の使い回しじゃないか」とうんざりしたものだが、今はあの知識も失われ、なんだか懐かしい。

とはいえ、昼間に家族が友人知人や近所の人に配ったらしく、ベランダに積まれていた大根の山は、ずいぶん減っていた。
代わりに「結球に失敗した白菜か、新手の中国野菜」みたいな葉野菜が、玄関に置かれていた。先ほど電話があって、隣町の親類が置いていってくれたそうだ。

僕としては、チャーシューとか、ブッシュドノエルとか、iPad Proとか、そういうものが置いてあると嬉しいのだが。なかなか人生は上手くいかないものである。

 

全く関係無いが、静岡駅の近くには、最近いつも行列ができている。宝くじを買う人達の列。
あれについて、数字の話を持ち出すのは「野暮」なのだと聞いた。確かに、確率とか、利益率を考えながら「良く当たる店」に並んでいたら、その人の正気を疑う。
宝くじ売り場に並ぶ人達は、一種の縁起物、季節の風物詩として、不合理を承知で楽しむのだという。なるほどそういう価値観もあるのか、と感心してしまう。
でもいつか聞いてみたい(身近にはいないので聞く機会が無い)。「そうは言っても、誰もいない売り場より、ちょっとは当選確率が上がると思っていますよね」と。
完全に不信心な人は、宗教施設には行かないものだ。少なくとも寒い季節に、行列のできるところには行かないし、行けない。
なんだか「お祭り」っぽい。それも、海外旅行中にふと巡り会った、なんだかよくわからない冠婚葬祭行事みたいな感じ。あまり周囲の目を気にしていないところも、よく似ている。

 

宝くじが当たったら (講談社文庫)

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