仕事中、かなり日本語の達者な、中米からの出張者さんに、「そーけんびちゃ、おいしい。でもボタニカルのめぐみって、変でしょ?」と言われた。
そう言われると、返す言葉が無い。僕だって変だと思うが、僕が決めたわけじゃない。
「例えば英語の小説でも、ラテン語やフランス語を使う時がありますよね」
「そうだね。ポップソングでも多いね」
「日本語にはカタカナがあります。これは外国の言葉をなんでも日本語にできる」
「確かに。日本語に変身する、変だけど」
「ラテン語の詩が読めなくても、なんだか英語とは『違う』感じがするよね」
「まあそうだ。あれだー、うん。『あえて使う』ということ?」
「そうそれ、本当に日本語お上手ですね。その通り」
「では意味ではなくて、雰囲気?」
「そういうことでしょう。で、ボタニカルは、爽健美茶っぽい印象がある、らしいです」
「あなたは、そうではない?」
「残念ながら」
「残念ですね、さみしいね」
そんな会話をした。
昔は、ボタニカル云々なんて、書いていなかった気がするのだが。
ところで世の中のペットボトル飲料のうち、お茶の類は、いつのまにかカフェインレスが主流になっている。
僕としては、この程度の薄い紅茶や混合茶のカフェインを気にするよりも、「カフェイン増量」のものを加えてほしいのだが。
世間一般、例えばanan界隈では、カフェインは、そんなに身体に悪いとされているのだろうか。
増やしたものと減らしたもの(あるいは無いもの)、どちらも選べたほうが良い気がする。それと、カフェインレスなのが当然の品まで、それをわざわざ主張しなくても、って思う。トウモロコシ茶とか。