痛快その後に苦労の話

今日はものすごく忙しかった。ずっと気が急いていた。
それなのに、午後の中途半端な時間に、「素晴らしい働き方講座」みたいな、ワークライフバランスっぽい講習に参加させられた。
これはワークライフバランスとかいいながらも、「余計なことを考えずにがむしゃらに働こう、そうすれば雑念は消えて幸せ。会社は成長し、家族は喜び、あなたは真人間になれる。特に非正規雇用者はそうやって自分をアピールするべし、もちろん勤務時間外もね!」という内容のため、毎年とても評判が悪く、そしてワンパターンな講習だと聞いていた。

要は、会社の“おつきあい”で、どこかの偉い人に、講演会の機会を与えている、ということだと思う。天下りというか、迂遠な形の接待というか。

そんな講習を、今日は受けた。
僕も他の人も、初めての受講である。「お前、行ってこいや」みたいに言われて参加する下っ端ばかり。

 

ところがこの講習が、なかなか痛快だった。
講師の先生は、最近、人生の転機があったらしい。
そして、あと半年で、完全にリタイヤするらしい。
というか、自分の所属するナントカ振興会に思うところがあって、腹を立てているらしい。
そういう諸々の影響で、今日の講演内容は、ずいぶん急進的な、そして過激なものだった。
「あなたの人生なのだから、会社のために使うのは勤務時間だけにしましょう。会社に10の貢献をしても、せいぜい4、エリートになっても7程度のリターンしか望めません、特に今は不景気ですから。残業は会社側にとっては、低コストな労働力なのです」と、とにかく喋る。

最後に、司会役の総務の人がコメントとお礼を言うのだけれど、ずいぶん戸惑っていたようだ。
上級管理職の人達の何人かは、怒っていたと後で聞いた。
明らかに、僕達の勤め先を批判していると思われる、具体的な内容が多々あったのだ。

 

聞いている時は痛快だが、これは終了後に、レポートと感想を書く種類の催しでもある。
そして、それらの文章は講演者ではなく、上司やその上司へと伝わっていく。だからあまり露骨に「そうだそうだだから我が社は駄目なんだ」とは書けない。かといって、「現実は違いますよね。僕は全面的に現状を受け入れ、状況の奴隷になります」というのも書きたくないし、それではまるで話を聞いていなかったみたいに思われそう。

皆、とても苦労していたようだ。
素直に思うところを書く、あるいは素直なふりをして不満を書き連ねる、といった人も多かった様子。
僕はうっかり筆が滑って上司の上司の上司辺りを怒らせると嫌なので、「問題提起への感謝と、その内容について思うこと、そして自戒」という、優等生的な文章を仕上げた。
これはもう、発想や心がけではなくて、技術の賜であろう。つまり、こうして毎日、ブログを書くことで、それくらいの”作文”は、ぺらぺらっと15分で書けるようになる。フィクションだって大丈夫。

でもやっぱり、苦労はした。
事前に配布されていた資料と、実際の講演が全然違うのだ。
面食らったし、話を聞いている時は「そうだそうだ」と思ったはずだが、具体的なエピソードが全く頭に残らなかった。そして、「この人、どこかブチ切れているんじゃないか?」と、話を聞きながらずっと考えてしまって、全然集中できなかった。

それに、「話に聞いていたのとは真逆の内容だったよ、それに何か、様子がおかしかったよ、講演者も、主催側も」と、かつて参加したことのある先輩達に言っても、全然信じてくれないのだ。
夕方には、噂が伝わって、「それは聞きたかった」とか「大変だったね」と、皆が言ってくれたのだが。最初は誰もが「感想なんて、ハイハイその通りです、って書いておけばいいよ」としかアドバイスしてくれなくて、ずいぶん困ったのだ。

まあ、人生に数回は、こういう「トラブルの予感を濃厚に孕んだ講演会」に遭遇するのも、良い経験だと思う。
一服の清涼剤、というには過激だったが、面白い体験と言ってもいいのではないか。

 

エラい人にはウソがある ―論語好きの孔子知らず

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