あいさつ運動

虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)

 

進化っていうのは種の存続を第一義にしている、と思われがちだが、それは厳密には正しくない。生存に適した形質を有した個体が生き延びて、その形質が種の中で支配的になっていく、種はそうやって進化していくんだ。個体が適応した結果として進化があるのであって、その逆じゃない。 虐殺器官伊藤計劃

 

つまりですね、「あいさつ運動」と称して、道行く人や職場で「あいさつ」を励行しても、それで世界が明るくなるわけじゃないのです。せいぜい、習慣化した「あいさつ」が局地的に発生すれば御の字、一般的にはその時だけのもの。
だって「あいさつが大切」ってことは、普通の教育を受けた人達は皆知っているし、あいさつをしたい相手には多くの場合はしているのだから。
あいさつ運動によって半強制的に発声した結果、「ああ、あいさつって気持ちがいいなあ。初めて知ったよ。これからはまず元気なあいさつを自分から!」という“気づき”を得る人がいたとしたら、それはレアケースの認識不足野郎なのだと思う。要は“きっかけ”は日常に転がっているわけで、わざわざ旗を振る意義は薄いのだ。

「あいさつ運動」は、一般にマンパワーを必要とする。日常生活で挨拶を励行しよう、なんてマイルドな活動で済ませないのが、こういう社会運動の常。つまり朝に道路に並んで、旗なんか立てたりして、一列に並んで「おはよーございまーす」とか言い続けるのだ。たいてい、業務時間外に行われる。だから組織的には“小さな活動”だが(帳簿の数字が動かないものは小さな活動と看做される)、もちろん一般の社会人にとって、朝の数十分は大きい。

 

今日は小雨の中、そういう活動をしている役所の前を通った。市の水道局か何かだと思う。
参加者は、わざわざヘルメットなどをかぶっていた。普段は歩道を歩く際にヘルメットなど装着しないのに、こういう時だけかぶるのは、馬鹿みたいだと思う。もちろん旗も立てていた。

たぶん活動終了後にはアンケートを集計するのだろう。参加者が前向きかつ無難な感想を書き、それをピックアップした報告をもとに、今後も延々と続く。 

無料奉仕の弱点として、浄化作用の低さがある。コストやベネフィットといった尺度が使いづらいため、「感想」さえあれば、いつまでも改良が行われない。

 

虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)

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屍者の帝国 (河出文庫)

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ハーモニー (ハヤカワ文庫JA)

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この運動、聞くところによると、僕の職場でも数カ月後に“持ち回り”でやって来るらしい。実に嫌だ。「誰も納得はしていない。でも朝の数十分じゃないか」と職場のリーダーは言う。これは僕の通勤時間(わりと遠いのだ)は加味していない発言であり、さらにいうと、たった数秒でも腐肉には触りたくないと思うのが人情だと思うのだが。

話は最初に戻るが、もし社会を明るくしたいと思うのならば、まずは社会をよく観察して、それから(他人の時間を使うのだから)できるだけ有効な手を打たなければならないし、それは常に評価と再検討を繰り返すべきなのだ。


社会が明るくなった結果として「あいさつ」が発生するのであって、その逆じゃない。少なくとも、朝の路上で声をかけても大した意味も意義も無いのは、この活動が続いていても変わらない世界が示しているのではないだろうか。
さらに言うと、僕は不特定多数への「あいさつ」が無くても、世界は明るく豊かだと捉えているのだ。こうなると不毛感もひとしお。要はこれは、愚痴である。

 

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