映画『進撃の巨人』を観る


友人夫妻の「妻」のほう、そして彼女の姪(学生)という、不思議な組み合わせに誘われ、映画館に行った。『進撃の巨人』を鑑賞。

原作漫画は、もう読んでいない。ああいう勢いのある作品は、あまり長引かせずに切り上げて欲しいと思って読んでいたら、いつの間にか“冷めて”しまったのだ。エヴァンゲリオンなら謎に謎が重なって延々続いても問題無いのだろうが、少年漫画でそれをやられると辛い。荒唐無稽にも色々あって、進撃の巨人の場合は、綺麗に風呂敷を(ある程度の速度で)畳んで欲しかった。

 

で、実写映画である。
僕個人としては、ほとんど興味が無かった。
コンピューターグラフィックスが安く強力になった昨今、漫画を実写映画にするのはずいぶん容易になったし、見るに堪えない品質という事も減った。ただし脚本や演出に関しては、やはり最後まで観るのが辛い作品も多い。特に日本映画は、その傾向が強い気がする。
だから「キャシャーン寄生獣デビルマンみたいなものだろう」と思っていた。でもTwitter界隈での評判は良いし、今日は友人が誘ってくれたわけだし、せっかくの夏休みに(メンズデー割引で)映画鑑賞も悪くない、と考えたのだ。

 

映画は、予想外に面白かった。
やはりタレント学芸会的な演技は多かった。コンピューターグラフィックスだって、ハリウッド映画を見慣れていると、なんとも残念な感じがする。
しかし脚色された部分は悪くなかったし、なるほどと思わせる部分だってきちんとあった。

たぶん制作側、少なくとも監督は、この映画を「怪獣映画」にしたかったのではないか、と僕には思える。
人間側が大きな存在に対して、ただただ恐怖し戦慄し戦う、という図式は、確かに怪獣映画に近い。ベテラン俳優が恐怖の対象を見上げながら、周囲のパニックをすっかり忘れて、感情のこもった独白をするのは、怪獣映画の基本だ。若手俳優達が全体に稚拙、あるいは台詞自体がなんだか漫画っぽいのもまた、怪獣映画らしさがある。
全体に陳腐で大げさ、そして難しいトリックなどは仕込まない。敵は強い。絶望のなかで輝くものもあれば、取り返しのつかない犠牲もある。それが怪獣映画の持ち味だ。そこに余計なものをたくさん加えたのが、日本産怪獣映画の9割なのが困ったところだが、それはまた別の話。
僕は怪獣映画が「それなりに楽しめる体質」だから、この映画も面白く観ることができた(若年期の体験と、その後の訓練の賜物)。同行の2名は、その辺りはぴんと来ないようで、映画の後に(ごはんを食べながら)解説しても、そういう様式美については賛同も共感もしてくれなかった。

グロテスクなだけ、過激なだけ、というわけではない、ある種のこだわりが感じられた、それがこの作品の美点だと思う。ゴジラとかガメラが好きな人なら、それは見い出してもらえると思うのだが。

でも、どう見ても黄色人種の人達ばかり集まって、「エレン」とか「イェーガー」とか言い合っているのは、やはり違和感があった。バブル期のカドカワ映画、とまではいかないまでも、海外の(それほど有名ではない)俳優を何人か混ぜて欲しかった。漫画版と違い、「中世から近世の西欧風」ではない舞台設定だったから助かったものの、それでもやはり、なんだか妙だった。

 

バイリンガル版 進撃の巨人3 Attack on Titan 3 (KODANSHA BILINGUAL COMICS)

バイリンガル版 進撃の巨人3 Attack on Titan 3 (KODANSHA BILINGUAL COMICS)

 

 

 

さて明日は、やることがいっぱいである。なぜならば、今日はすっかり遊んでしまったから。明後日からは、また遊ぶ。だから明日は、家事と工作と手続きと創作活動と雑事と通院と修繕と準備と整理整頓に邁進せねばならない。今、明日の懸案事項とそれに必要な道具類を床に並べていったら、部屋がとんでもないことになってしまった。しかしもちろん、睡眠には床面の状態は関係無いため、寝る。

 

全然関係無いが、これは今日のおやつ。

レモンとチーズのシブースト。

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