たぶん一生後悔する習慣

今日はかなり、怖くて嫌で、ある意味では胸が悪くなる話。動物の死に敏感な人は、読まないほうがいい。

 

 

帰宅後に寄ったホームセンターの駐車場で、交通自損事故に遭遇した。
目の前を走っていた車が、縁石に衝突したのだ。
歩行者用通路と隔てるための縁石でも、速度によっては衝撃が大きい。その車はたぶん、ブレーキを一切踏んでいなかった。大きな音がして、エアバッグが開くのが見えた。

若い夫婦だろうか。運転手はドアを開けてすぐにしゃがみこみ、助手席の女性は血塗れで、あちこちが痛そう。彼女は、ただのエアバッグの衝撃にしては、怪我が酷いように見えた。
駐車場のスタッフが救急車を呼んで、2人とも数分後には運ばれていった。

 

 

そして血である。
血は、助手席の乗員が膝に乗せていた小型犬のものだった。
そういえば、窓を半開きにして、ミニチュア・ダックスフンドが顔を出していたような気がする。犬を乗せていて、しかも大音量の音楽が漏れ聞こえていたため、なんとなく印象に残っている。

あの犬は、たぶん死んでしまったと思う。
ホームセンターだからペット用品売場はあるし、だから動物病院への連絡や応急処置は上手くできたのかもしれないが、それでもペットには救急車は来ない。人間が最優先される。
可哀想な事だったと思う。本当に。

そして考える。今回は人間の立場で考える。助手席の人間の立場。
自分の家族が、自分の身体とエアバッグに挟まれてしまうというのは、どれほど辛いのか。痛みもあるし、きっと感触だって有る。もしかしたら、自らに傷が残るかもしれない。そういう諸々を、これから先、ずっと背負うのだ。
世の中に辛いことは多いが、ある種のカテゴリの残酷さとしては(詳細は書かない)、かなり上位に位置するのではないか。

 

しかし世間には、膝に犬を乗せている自家用車は多い。
実数はわからない。でも、見かけたとしてもいちいち騒がないくらいには、当たり前の光景になっている。自由に車内を移動させている人も珍しくない。
彼らだって、事故に遭遇する可能性はある。その時の事を考えると、怖さだけでなく、なんだか膝の力が抜けるような、具体的で身体的な、嫌な感じがする。

そして未だに「膝に乳幼児を乗せている」人もいる。
これはもう、想像するのも嫌になる。人によっては、というかたぶん“家”によっては、祖父母がその役割をしている。幼い子供の命はもちろん守れないし、“その時”には、大人の側だって、もう「死んだほうがまし」となるだろう。

縁石に正面衝突だけで、家族の血に塗れるのだ。もっとめちゃくちゃな事故だって、日常では遭遇する。
膝に犬、あるいは乳幼児を乗せたまま走る自家用車を見かけるたびに「あれは怖い」と想像はしていた。それが今日、実際に目の前で起こってしまったのだ。がつんとぶつかって、バンパーの下側が潰れて、エンジンルームから変な音がして、乗っていた人は痣と打撲と、たぶんむち打ち症くらいにはなっただろう。それだけでは済まない、全然済まない事態になってしまった。
愛犬家は、ある種の「人生の保険」として、ケージに入れる、躾をする、くらいのコストは絶対に払うべきだと思えてくる、そんな凄惨な光景だった。
人間だったら尚更だろう。「そんなのウチの子には無理」なんて、あれを見たら言えなくなる。

 

というわけで、どうか助手席に乗る人は、動物や子供を膝に乗せないで下さい。エアバッグが開かなくても、とても酷い事になります。しかも自分の目の前、触れている距離で。ガラスにごつんとぶつかっただけでも、生き物は傷つきます。
避けられる類の不幸だと僕は思っています。きつい事を言うならば、「どうしても膝の上でなければ無理」なんて物言いは、不誠実の極みとさえ考えます。そういう反論をされた事もあるけれど(なにしろ僕には子供もペットもいない。現実を踏まえていない理想論なのかもしれない)、しかしだからといって、いざという時の不幸の程度が軽くなる訳ではないのだから。

あれは本当に酷い。怖くて嫌で、ある意味では胸が悪くなる光景でした

 

 

 

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