便利なことば

専門家が一般の人々に説明するのに便利な言葉、がある。
医者などは、それを使わなければ、たぶん仕事が成り立たない。そういう言葉は、平易さを極限まで突き詰める傾向がある、と思う。十人十色の一般人に洩れ無く伝えるためには、そうせざるを得ない。

しかしもちろん、そのような事をしていると、誤解が生じる。というか世の中はそういう誤解に満ち満ちている。
僕が思うに、専門家がわかりやすい言葉を使い始めたら、その意図を汲むのが、一般人側の(知的な)努力義務なのだろう。なぜその言葉を使ったのかは推し量れる場合が多い。そのうえで、わからないところは質問する。

例えば、医者が言う「強い薬」という言葉。
医者が「これは強い薬です」と言った場合、それは「だから、用法用量を守り、指示通りに服用し、異常を感じたらすみやかに相談してくださいね」という意図があることがほとんどだ。
しかし薬嫌いの老人は、そう受け取らない。「強い薬!じゃあ、これは自分で上手く調節して使っていかなければ。というか使うのを止めておこう」と考える。“飲まなくても大丈夫な、強い薬をあえて出す医者は少ない”という発想が無いのだ。

つまりこれは、父の話だ。
医者嫌いな人というのは、自分の心の中に住む「医者」だけは信用している。珍しくはないが、でも身内にそういう人がいると困るのも確か。
まあ、妙な代替療法に頼らないだけ良いのだと考えたい。話に聞くところでは、酷い家は本当に酷いらしい。

 

そしてこれは、職場のスギナミくん(仮名)の話でもある。
彼に喩え話で「電気と回路」の話をするのには、もう飽きた。というか仕事に就いてからもうすぐ7年になるのだから、そろそろ電気機器については、きちんと(メタファー抜きで)理解しても良い頃合いだと思う。
今日は、電流を水に例えたのだが、電線の切り口を接着剤で埋めていた。切り口からじゃばじゃばと電気が流れていってしまうことを警戒した、とのこと。「どういう世界観だよ」って思ったのだけれど、知識をひけらかすのも格好悪いし、僕は育ちが良くて礼儀正しいから、もう少し穏当で理知的な発言でその認識を訂正した。

 

まあ、疲れることは確かである。
だから穴を掘って叫ぶわけだ。この文脈でいうと、はてなブログが「穴」である。誰が掘ったか、深さはどれくらいか、などはこの際関係無い。その辺りは、各人が汲み取って欲しいと考えている。