“マイナンバー”と“星見えるが丘公園”について


職場に来るイギリス人技師さんは、日本語が堪能である。驚くべきことに、ロンドンの学校で習っただけで、日本に来てからは1年弱、実際に日本人と話した経験も2年足らずだという。

だからだろうか、疑問に思うことも数多い様子。そして疑念の多くを質問という形で、言葉にする人でもある。

 

最近は「マイナンバー制度」について、“座りが悪い”と言う。
英語圏では「My Number」という使い方はしない。確かに、正真正銘の和製英語、という雰囲気が(英語が苦手な僕からも)伝わってくる言葉ではある。

素直に「国民識別番号」でいいんじゃないか、と思う。マイナンバーなんて言い方をしても、様は識別を容易にする番号なのだから、それで過不足無いだろうし、言い方を変えて親しみやすさを覚えるような人達は元より意義も問題も考えないだろうから、すぐに「コクシキ」とか略して満足するだろう。
ここで「背番号制度」とか、野球っぽい用語を使うと「昭和のおっさん」感がして、それはそれでまた嫌だ。

固い仕事をする組織の、固くなくてはならないツールに、わざわざ頭の悪そうなカタカナ語を貼り付けるなんて、なんだか国民を馬鹿にしているみたいだ。その辺りが、イギリス人的に、そして日本を愛する外国人としては、気になるところだという。

イギリス人技師さんのこの意見については、大きく同意するとともに、大変に申し訳なく思う。
日本人というのは、こういう風な英語の活用法をするのだ、英語の小説にフランス語やラテン語が挿入されるのと似ているかもしれないが、とにかく英語はかっこよくて、その(多くの日本人にとっては)意味が曖昧にしか通じないところが便利なのだと、今日は説明した。

説明の際に「オブラートに包んで」という表現を使ったあたりから、「オブラート?なんですか?」と話が逸れて、そこから聖餅の話になって、それはそれは有意義な無駄話となった。こういう時、インターネットは便利。お互いにわからない事を調べながら話せる。
ところでイギリスにはオブラート(オランダ語)に相当する医療品(食品?)はあるのだろうか。聞き忘れてしまった。
ちなみに「湿布」は、少なくとも一般医薬品としてのそれは、イギリスでは見たことがない、とのこと。筋肉痛は飲み薬が効く、そうだ。

 

 

 

名前で「これは酷い」と思ったことがもう一つ。
近所にできた「星見えるが丘公園」の話。

道路に挟まれた中途半端な土地で、昔から花壇と滑り台とベンチがあったその場所に、先月から「星見えるが丘公園」という看板が立ったのだ。
特に星がよく見える場所ではない。もちろん星は見えるが、それならば隣の仕出し料理屋は「観星楼」で、道の反対側にあるのは「スターウォッチャー・ブック&ステーショナリー・ストア」になってしまう。要は、星の観察のためにこの空き地に来る人は皆無だろう、ということ。
そもそも丘でもない。どう見ても凹地なのだ。

たぶん、近くに分譲住宅地が出来たから、その関連で“素敵な名前”をつけたのだろう。しかしこの素敵さは、避暑地のペンション(80年代テイストを引きずった自意識過剰壮年男性が経営)のそれだと思う。
元々の「6丁目緑地」でいいじゃないか、と僕は思うのだが。どうせ子供(メインユーザー)は「小さいほうの三角公園」と呼ぶのだろうし。

 

 

いまふと想像して怖くなったこと。
あと20年もしないうちに、「いまどきの感覚を持つ人達」が、政治や行政の世界で力を持ち、あるいは社会的な決定権を振るうようになる。
だから、例えば教育改革に「希瑠覇2025」とか、ものすごい愛称をつける時代になるのではないか。よさこいソーラン的なアレが、国民生活を彩るのだ。困ったことである。「SAMURAI-JAPAN」程度で「うへえ」と思っている人は生きづらい国になりそう。

 

 

名前だって本質の一部になりうるし、後で変えるのはたいてい難しい。
だからキラキラネーム的なものを、少なくとも税金を使っては選ばないでほしいもの。
特にマイナンバー、上手く使えば便利だろうが、その阿呆な名前だけで嫌になってくる。書いていて辛くなってきたから、今から「マイナンバー 和製英語」辺りで検索して、同じ意見を探し読みして心の平安を得ようと思う(小市民)。

 

 

 

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