この小袋は食べられません

かのこちゃんとマドレーヌ夫人 (角川文庫)


近所の和菓子屋(洋菓子も売っている個人店)は、レジのところで使用済の脱酸素剤を回収している。
あれはいったい何に使うのだろう。
今日、母がその店のマドレーヌを買ってきたので見たところ、フィルムでゆるく包んだマドレーヌに、脱酸素剤が添えてあった。あれではただのおまじないだ。
でも母は「少しは効くんじゃない?」と言う。あまり親の事を悪くいうものではないのだが、でもやっぱりある種のリテラシーに欠けた発言だと僕は考える。


母は大雨のニュースがあるたびに、「この家が浸水したらテレビなどの大型で高額な家電はどこに置けば良いのだろう。我々はどこに逃げるべきか」と、わりと本気で心配する。我が家は十分に高台にあり(我が家が洪水に飲まれる時は、静岡県は実質的に壊滅するだろう)、浸水なんて“ありえない事態”だと僕が言っても、「でも言い切れないじゃない」と反論する。

この「言い切れないじゃない」が、ゆくゆくは怪しげな健康器具の購入に繋がっていくのかもしれない。そういう人は多い。「絶対にありえない」と断言できない事象や説に付け入る「可能性はゼロではない≒評価に値する」の論理。
今はまだ大丈夫かもしれない。でもあと少し老いたらどうなるのだろう。仕事帰りに見かける「空き店舗で開催される怪しげな健康用品販売ビジネス」に集う老人達のことを、ふと思い出した。

 

ところで回収された脱酸素剤、もしリユースしているとしたら、きちんと洗浄や殺菌をしているのだろうか。脱酸素剤のリユースを試みる店に、そのような衛生観念があるとも思えないところが怖い。

脱酸素剤を呪術的に用いるのならば、きちんと密封された小袋に入れて、そのうえで商品に添えてほしいところ。あるいは使わないことで、省資源に貢献する、そんな考え方もあるのではないか。

しかしこの種の指摘は、どうすれば店に届くのだろう。
本来は包装資材屋さんが教えてしかるべき、だと思うのだが。あの店の抹茶マドレーヌは悪くないが、無駄な脱酸素剤を省けば、安く、あるいはより高品質なマドレーヌが提供できるはずだ。もったいない話だ。

 

マドレーヌのメルシーブック―いつもおぎょうぎよくいるために

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