ハムカツ

仕事帰り、なんとなく立ち寄った小さなスーパーマーケットで、ハムカツを購入した。おそらくは「孤独のグルメ」的な、「こういう気取らないものがいいんだよ。たまにはハムカツなんて買っちゃったりして」みたいな気分だったのだろう。

しかし帰宅して、普通に夕食を済まして、そして今になって、ハムカツの存在に気づいて、ちょっと困っている。同時に買った野菜ジュースは飲んだ。「ういろう」は日持ちする。しかしハムカツは、どうすればいいのだ。

困った時は、冷凍するに限る。チャック付きポリ袋に入れて、空気を抜いて、そのまま冷凍庫へ。いつか「ハムカツの気分」の時に思い出して、食べるだろう。あまりハムカツを食べたいなんて思う時は無いのだけれど(でも美味しい食べ物だと思う)。

 

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ハムカツは、ある意味でたまごかけご飯に似ている。情緒や思い入れといった、何となく湿っぽいもので底上げされた品だと思う。今日の僕の衝動買いも、この情緒に後押しされたものだ。
他には「塩むすび」や「魚肉ソーセージ」なども、妙な過大評価がされているような気がしてならない。
過大だろうが底上げだろうが、別に食べ物の好き嫌いなんて人それぞれだとは思う。
しかし、たまごかけご飯が脚光を浴びるその土台が、タルト・オ・シトロンやラザニアなどの累々たる死骸で築かれていると考えると、その素朴さもまた別の趣があると思う。

どんなものにだって影がある。影の無い物語は、僕の好むところではない。
別の言い方をすると、「誰もが、そんなに嬉しい気分でたまごかけご飯を食べているのだろうか?」ということ。

しかしいつから、「肉屋で買ったコロッケを歩きながら(はふはふして)食べた」なんて思い出が、我々の原風景になったのだ。僕はそんな行為は、大人になって、観光地の商店街でしか見たことが無い。子供の頃に、持ち帰り専門の焼き鳥屋で「鶏皮」は買い食いしていた記憶があるけれど、でも「だから、今でも好き」とは思わない。鶏皮は思い出の補正を差し引いて、そのうえで好物なのだ。

できることなら、光も影もフラットに観察し、生活に取り入れたい。
ハムカツだって美味しいし、フランス料理の気取ったフルコースだって美味しい。そういう態度で暮らしていきたいものだ、と思う夜である。何かを踏みつけて、あるいは虚像を崇めて到達する高みには、大した価値は無い。

でも、あるいはだからこそ、創作和彩イタリアン、あれは駄目だ。そういう看板を掲げる店が、通勤ルートにあるのだ。今日も「感謝!活き活きと営業中!」という立て札が入り口にセットされていた。たぶん閉店時間には「誠心誠意仕込中!」に切り替えるのだろう。
料理以前の問題として、それこそ好き嫌いの領域で、僕はその「へそまがり親父の自己流伊太利亜料理」からは、全力で遠ざかる方針でいる。いつか何かの不可抗力で行ってしまいそうな、嫌な(根拠に欠ける)予感がするのだけれど。

 

 

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