炒り豆の炊き込みご飯

節分の炒り豆が出回る時期になった。
僕はあれが好きで、この季節には頻繁に買っている。良い大豆を通年販売する店も知っているのだが、別にそれほど高級でなくてもかまわない。塩気も甘味もない、あの素っ気なくて鄙びた味わいが良いのだ。

今日はその炒り豆で炊き込みご飯を作った。
作り方は簡単。炊飯器に米と水と豆を入れて炊くだけ。栗ご飯くらいの塩加減(面倒なら味付けは不要。食べる時に塩を振ればよい)で、出し昆布は使わず、水加減は普通でかまわない。炊きあがると、豆がむにむにっとした歯ごたえになっていて、見た目はぱっとしないが美味しい(窮乏食、という言葉を連想する)。たぶん黒豆でもできるが、そして黒豆だと五穀米的にヘルシーな見た目になりそうだが、黒豆(というのはつまり黒大豆)の炒り豆は手に入りづらいから、いつも普通の大豆で作る。

炒り豆を12時間から24時間ほど酢醤油に漬けておくだけでも、簡単な惣菜ができあがる。酢醤油ではなくて醤油だけだと豆鼓や浜納豆に似たものができるし、濃縮めんつゆならば甘辛い箸休めになる。長持ちさせたければ、いったん漬け汁は煮立たせたほうが良いだろう。
これらは、あらかじめ火が通っている炒り豆だからこそ、の簡単料理。

以前、奈良に行った時に、味噌汁の具が、炒り豆だった。豚汁の豚肉抜き、プラス炒り豆。これもなかなか美味しい。七味唐辛子がよく合う。

 

 

節分といえば、もう毎年のように思い出すことがある。
最後の1年間だけ、つまり年長組から転入したキリスト教系保育園の節分が、子供心に「これは異文化だ」と思わせる、キリスト教のエピソードと無理矢理に合体させたものだった。どちらかといえば仏教寄りのところからの転入だったから、これは本当に驚いた。ほぼ1年近くを過ごしてきて、かなり慣れたし、おおむねどんな感じかは掴めていた筈だったのに、さらに過激な“宗教臭さ”を味わった衝撃は、忘れることができない。

とはいえ、今となっては具体的な内容を、ほとんど思い出せない。最後にお祈りをして、聖歌と神父様のお話があったことは覚えている。聖水を撒いて、鬼の胸に樫の木の杭を打ち込んだなんて記憶はないけれど、とにかく「これは無いわー」と思ったことだけは確かなのだ。キリスト教の暗くて不気味な側面、例えば“異端審問会”といった言葉を連想させるイベントだった。正直言って怖かった。

今だって気になるのだが、まさか確認のために(節分の日に)保育園まで見に行く訳にもいかず(豆をぶつけられるだろう。それだけでは済まない気がする)たぶん一生この空白は埋められないのだと思う。

しかし節分祭にキリスト教の暗黒面を連想する人生を送るなんて、あの頃は想像もできなかった。思えば無垢な時代だった。年長組は「天使組」というのも、今思うと妙な凄みがある。

 

 

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これは大人の(つまり2015年の)僕が、「これは無いわー」と思った品。親戚のおばさんからいただいた。

俳句の「かるた」なのだが、絵柄がディズニーのキャラクター。絵は既存のもののなかから、俳句の語句に合致しそうなものを選んでいるようだ。でも別に“趣”や“詩情”まで配慮しての選択ではない。
かなり安直な、というか雑な企画だと思う。
実は書店でも見かけたのだが、その時は「ディズニーがきっかけで、松尾芭蕉が好きになっちゃうかも笑」と店員のポップが添えられていた。「なっちゃうかも笑」じゃないよまったくもう、と僕は思ったし、これはヴィレッジヴァンガード辺りならば完全にオモシログッズカテゴリに属するとも思う。