ベクレルフリー・ライフ

先週のニュースにあった、例のゼロベクレル系パン屋の閉店で思い出した。
あの悲惨な原発事故の後に「安全な食」に目覚めた知人が、最近は「根菜は日光にさらす。他の食材は、ラップを外してしばらく置けば、セシウム関係は大丈夫。そして自然塩は毒素の排出の特効薬」と、ずいぶん穏当というか適当な対策を“採用”した。これは「関東平野は壊滅しなかったし、奇形もケロイドも癌も増加していない」という現実との、あの人なりの折り合いの形なのだろうと考えている。
まさか「発端はパニックでした。それなりに安全になった後も、正義の戦いは充実感があったし、サンドバッグには事欠きませんでしたし、自分の感性は大切ですからね」とは言えないし、たぶんそういう風に考えないように性格や意識ができているのだと思う。絶対に負けないタイプの生き方で、皮肉ではなく、ほんの少しだけ羨ましい。

危機感を行動に変えるにも、なにかとコストが必要なのだ。できれば節約したいのが、人情だろう。ある種の人達にとっては、そろそろ、そういう頃合いになってきたのではないか。原発事故と放射性物質汚染と政府と東京電力は「永遠に許さない」うえで、もう少し身近な何かに矛先を向けるのが、バランスの取れた「意識の高い行動する市民」の、昨今のトレンドなのだと考えている。だからこそ、日常に無理なく取り入れられる「放射能対策」は作られなければならないし、それはこの数年間を(少なくとも本人にとっては)肯定するものでなければ意味が無い。
今になって「西日本に移住したのは、心理的効果以外は無意味でした」と言える人が、どれだけいるだろう。

 

そういえば、静岡市の山奥にあった手作りパン屋も、あの頃は「放射能測定器」をいくつか購入していた。「ご自由にお使いください。検査結果は自己判断で」と貼り紙がしてあって、そしてオーガニック・マクロビ・自然なお産サークル界隈の人達にとっては静岡県中部の拠点ともいえる店だったのに、まともに活用はされていなかった。基本的なマニュアルさえ無かった。
お店としては「ぴっとかざすだけで放射能の度合いを示す」ような怪しげな機器をもってして、「当店の食材は安全です。フクシマのものは使っていません」と保証していて、あの店については、ゼロベクレルを目指す人達の底の浅さの、1つの実例として、強く印象が残っている。

そして僕は不思議に思うのだ。
世の中にあふれる多種多様な問題が、部屋の四隅にヒマラヤの岩塩を置いたり、パワースポットと認めた神社仏閣に行ったり、きれいな言葉と発展途上国の人達(純朴で無知“だから”純粋とされる人達)の心がけを導入するだけで解決するのならば、同様に、あるいは逆に、世界中でそれらの奇跡に起因する特異現象が頻発しそうなものなのに、残念ながら現実はそれほどファンタジックではない、という事実については、彼らはどう考えているのか。その心理こそ、よほど不可思議に思えてならない。
誰かのエッセイに書かれていた「ファンタジーの最大の問題点、それは想像力の限界だ。人間の能力の限界が作品世界の限界である。永遠に避けられないし、無視するのは誠実ではない」というような文章を、ふと思い出す。

もちろん程度問題でもあって、神社の御神籤だって全く道理には合わないのだけれど、御神籤は100円で、普通は年に数回程度の浮かれたイベントであって、一般的にシリアスに捉えない。

放射線放射性物質は厳然なる自然の法則に基づいた(放射線学的な)影響を及ぼし、発酵や日光浴では、それはどうにもならない。
そういう、例外も特異能力も救済も無い、奇跡が認められない世界に生まれてしまったのだ。つまらない世界ではあるが、そうでなければ世界はしっちゃかめっちゃかで、例えば「人として正しい生活」なんて考える以前に、地球の存在すら危うい。
そもそも奇跡は(普通は)頻発しない。
人間の都合や発想なんてものとは無関係に、世の中は成り立っている、そう考えたほうが賢しいと、僕は思う。

 

ところで、駅前のパワーストーン店は、どうして在庫品のパワーを活用しないで閉店したのだろうか。パワーストーンのミラクルパワー以上に、謎めいていると思う。
この件について、スピリチュアルな方面に詳しい知人は「例えば100円のパワーストーンには、最高で100円分の金運が封入されている。価格以上の金運があるのなら、そもそも売らない。そのポテンシャルを引き出し、1.5倍、2倍、そして100倍へと高めるのが、個々人の能力である」と説明する。なんだか面白いゲームシステムに思えてくるが、これは現実の話だという。もちろん鍛錬によるレベルアップや、同時装備で能力の底上げが期待できるアイテムや、あるいはパワーを増強するスポットがある(らしい)。
石のポテンシャルにも、個々人の能力にも様々な要因でばらつきがあるが(無限の組み合わせが有りそうだ)、しかしこれが「確かなこと」だというのだから、たぶんパワーストーン業界では確立された理論なのだろう。謎でもなんでもない。
僕はきっと、この「金運係数」が、0.3とか、0.005なのだと思う。特に根拠は無いけれど、パワーストーンを信じていないのだから、その程度が妥当ではないか。いつか宝くじが当たったら、余った金で、自分の「金運係数」を計測してみたい。宝くじを買う習慣が無い事、そして厳密に測定する方法を思いつかない事が、この問題の解決を難しくしている。

 

知ろうとすること。 (新潮文庫)

知ろうとすること。 (新潮文庫)

 
江戸しぐさの正体 教育をむしばむ偽りの伝統 (星海社新書)