オリオンの三ツ星と、大きな月に。

仕事帰りに夜空を眺めたら、オリオン座が正面にあった。
最近、眼鏡を変えてから、あの特徴的な三つ星のいちばん端の「伴星」が見えるようになった。
書物で存在は知っていたが、僕の矯正視力では見えない筈。あの伴星が見えるくらいまで「度の強い」レンズを使ったら、日常生活に支障をきたすし、たぶん目にも悪いだろう。
それなのに見える。おそらく、知識による補正、有り体に言うと、幻を見ているのだと考えられる。冬の澄んだ夜空、新しい眼鏡、そして本かWikipedia辺りで得た知識が、見える筈のない星を見せている。これもいわゆる、枯れ尾花の類といってかまわないと思う。

 

そういえば、職場から駐車場に行く途中で、同僚が「今日の月はことさら大きい」と言っていた。この感覚が、僕にはよくわからない。
満ち欠けではなく、主に満月について「見かけの大きさが日によって変動する」ように見える人が、社会には一定数存在するという。国によって、あるいは年齢によってずいぶん差があるらしいが、とにかく、そう見える人が多いらしい。
もちろん月と地球との距離は1年を通じてそれほど変わらないし(円に近い楕円軌道)、だから見かけのサイズというのは「月の位置が低いと、比較する地形や建物が多いために、大きく見える」だけで、要は錯覚だ。
僕も子供の頃には、月が大きかったり小さかったりしたような、そんなぼんやりとした記憶がある。人生のある時点で、「それはおかしい。理屈に合わない」と気づくなり指摘されるなりして、それからすっぱりと「月は概ね、いつも同じサイズ」に見えるようになったような、そんな気がする。
なんとなく、アスペルガー症候群(医学的な定義というより、インターネット上で使われる意味合いの“アスペ”)っぽい気がしている。単に印象を知識で補正しているだけなのかもしれないけれど、「ああ月があんなに大きい」と言えたほうが、情緒的ではないだろうか。

そんな自分でも、太陽は「朝日と夕日が大きい」ように見える。
よく言われるように、例えばまっすぐに伸ばした手の先の硬貨や爪を使ってきちんと比べてみると、朝も昼も夕方も、そんなに変わらない事はわかる(朝夕は若干、見やすいけれど)。わかるとしばらくの間は、朝日も夕日も大きくは見えないのだが、いつのまにか「大きな夕日」といった表現を、すんなり受け入れている。昼間だけ太陽が遠ざかる訳がないのに、この件に関しては、知識よりも実感が勝っているようだ。

ちなみに、昔のアニメや漫画では、大きな月や夕日をバックに、建物や登場人物が描かれていた。あれはいわゆる「望遠効果」というか、望遠レンズで風景の一部を切り取った演出だったとは、子供の頃は気づかなかった。なんとなく不自然だなあ、とは思っていたが。

それはともかく、知識によって見えてしまうものも、あるいは逆に見えないものもあって、脳と精神の複雑さには驚かされる。
そういうわけで、「騙される」のが当たり前であり、人間の感覚なんて当てにならないと思って、毎日を過ごしている。「自分の感覚を信じて、見たままを受け入れて」なんて言う人は、どこか信用ならないとさえ思うことも少なくない。

 

 

 

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