じゃがまが

社員食堂のメニューに「じゃがまが」という品があった。一皿で100円。
なんだろうと気になって見てみると、蒸かしたジャガイモにマーガリンを乗せただけの、要はじゃがバターのマーガリン版。

列に並ぶほどの魅力あるものには思えないのだが、それなりに多くの人達が喜んで食べていた。毎年、この時期になると、季節の特別メニューとしてじゃがバターが登場するとのこと。由来は不明だが、とにかく冬の始まりにはじゃがバターを食べるのが、この職場の風習になっているようだ。

こういう特別な食事に代用品が使われる事を嫌がる人も多いようだが、僕はSF的な趣があって良いと思う。
「おい見ろよ。“ナポレオンのバター”だぜ」
「“ナポレオンのバター”って何ですか」
「ああ新入りは知らんのか。紛い物って事さ。菜種油から作った合成品だ。身体にも良いし扱いやすいし安定供給できる。何より安い」
「へえ。意外と美味しいです。さすがにジャガイモは本物ですよね」
「どうだかな。どこかに“蒸かしジャガイモファクトリー”があるかもしれんぜ」
みたいな会話を想像してしまう。

ところで僕は、マーガリンは嫌いじゃない。あれはあれで、実に良いものだと思う。
子供の頃は朝食のパンに塗っていた。いつの間にか使わなくなって、「無いなら無くてもかまわない」とわかってからは、食パンはトーストしただけで食べている。あればジャムを使う。
バターなりマーガリンなりを塗ったほうが美味しいのかもしれないけれど、習慣から外すことで、塗る手間と時間、それに冷蔵庫のスペースと購入コストを削減できる。さらに、たまに塗ってみると(旅行中の朝食が多い)ものすごく美味しく感じるのだ。

自分の場合、この「問題が無いならば習慣から外す」ことは、食生活に限っては容易だ。ドレッシングもソースも、普段の食事では滅多に使わない。慣れてしまえば、千切りのキャベツに何もかけなくても平気。
毒でなければ、あるいは毒であっても、よほど苦手なものや不味いもの以外は、口に入れて飲み込むことができる。脳と意識の問題なのだ。「ドレッシング抜きのサラダなんて食べられない」と騒ぐ人は、嘘を言っているか、何かを勘違いしている。
それが豊かな食生活かと問われると困ってしまうのだが、旨い不味いを別にして食事を摂れるようになると、便利なことは確かだ。社員食堂の場合、調味料の置いてあるカウンターに並ぶ時間が節約できる。

 

ところでこの“じゃがまが”、皮が綺麗に剥いてあった。まるで新ジャガを徹底的にこすり洗いしたように、つるりと例外なく皮が無い。どこかにそういう機械設備があるのか、あるいは賃金の安い国で労働者が剥いているのか。もしかするとファクトリー謹製かもしれない。

 

そういえば、マーガリンを手作りする人を見たことが無い。
「農家から直接仕入れた無農薬の油で作ったマーガリン。もちろん無添加。今日はフープロの助けを借りちゃいました。売っているものと香りも味も全然違う。自然のパワーをいただきました。ほっこり」といった記事がインターネットの何処かにあっても良い気がするのだけれど。
廃油石鹸のノリで作れば面白いと思うのだが。名前を適当に変えれば流行る気がする。どうだろうか。

 

ソーセージ物語―ハム・ソーセージをひろめた大木市蔵伝

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